日野_(京都市)
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「西大道町」はこの項目へ転送されています。愛知県尾張旭市の地名については「西大道町 (尾張旭市)」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}京都市 > 伏見区 > 町名伏見区の位置

京都市伏見区の町名(きょうとしふしみくのちょうめい)では、京都市伏見区内に存在する公称町名を一覧化するとともに、その成立時期・成立過程等について概説する。
区の概要

京都市の南部に位置する。区域は東西に長く、伏見城のあった桃山地区、城下町で酒造業で知られる伏見地区を中心に、北方の深草地区、東方の醍醐地区、西方・南方の郊外地区を含む。区の東部は醍醐山を中心とする山地、西部は宇治川桂川に沿った平地である。区の南部には宇治市久世郡久御山町にまたがって旧巨椋池干拓地が広がる。

区境は東の山間部で滋賀県大津市とわずかに接し、北は京都市山科区東山区南区、西は向日市長岡京市乙訓郡大山崎町、南は宇治市・久世郡久御山町・八幡市に接する。令和4年(2022年)10月現在、面積61.66平方キロメートル推計人口は274,317人[1]。区域はかつての紀伊郡宇治郡を中心に西部は乙訓郡、久世郡、綴喜郡の一部を含む。

区内には伏見稲荷大社醍醐寺伏見城跡、明治天皇伏見桃山陵、史跡寺田屋、京都競馬場などがある。

区の成立は昭和6年(1931年)4月1日である。同日伏見市が廃止され[2]、同日京都市は周辺27ヶ市町村を編入して市域を拡大し[3]、伏見市、紀伊郡竹田村、深草町、堀内村、下鳥羽村、横大路村、納所村(のうそむら)、向島村(むかいじまむら)、宇治郡醍醐村の地域をもって新たに伏見区を設置した[4]。その後、昭和25年(1950年)12月1日に乙訓郡久我村(こがむら)及び羽束師村(はつかしむら)[5]、昭和32年(1957年)4月1日に久世郡淀町を編入している[6]
町名の概要

京都市内の町名には「大原来迎院町」のように旧村名、旧大字名に由来する地名(上記例の場合は「大原」)を冠称するものと、「亀屋町」「菊屋町」のような単独町名とがある。伏見区においては中心部の旧伏見市の区域は単独町名、その他は原則として旧大字名などの地区名を冠した複合町名である。

区内の公称町名の数は、『角川日本地名大辞典 26 京都府』下巻によれば、昭和55年(1980年)現在630町だった(「丁目」を有するものも1町と数える)。これらの町は令和3年(2021年)現在も大部分が存続しているが、平成9年(1997年)と平成18年(2006年)に土地区画整理事業実施に伴う町名町界の整理があり、町数は差引で12町増えて642町となっている。地図、郵便番号一覧表等には上記『角川日本地名大辞典』に公称町名として収録されない町名が散見されるが、これについては後述する。
旧伏見市地区
町数

伏見区の中心部は、豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町であり、近世から町地化されていた。享保3年(1718年)の『伏見大概記』によれば、当時の伏見は北組158町、南組105町の町組が組織され、計263の町名が記されている。これら263町は各9組に分け、この他に地方附と称する27ヶ町が存在した。天保年間(1831年 - 1845年)には町数265町、北組は12組に分け、地方附は23ヶ町だった。これらの中には、複数の町組に重複して属するものもあり、実際の町数はこれより若干少ない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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