日野菜
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日野菜
100 gあたりの栄養価
エネルギー79 kJ (19 kcal)

炭水化物4.7
食物繊維3.0

脂肪Tr

タンパク質1.0

ビタミン
ビタミンA相当量β-カロテン(12%) 98 μg(11%)1200 μg
チアミン (B1)(4%) 0.05 mg
リボフラビン (B2)(11%) 0.13 mg
ナイアシン (B3)(5%) 0.7 mg
パントテン酸 (B5)(4%) 0.18 mg
ビタミンB6(11%) 0.14 mg
葉酸 (B9)(23%) 92 μg
ビタミンB12(0%) (0) μg
ビタミンC(63%) 52 mg
ビタミンD(0%) (0) μg
ビタミンE(5%) 0.8 mg
ビタミンK(89%) 93 μg

ミネラル
ナトリウム(1%) 10 mg
カリウム(10%) 480 mg
カルシウム(13%) 130 mg
マグネシウム(6%) 21 mg
リン(7%) 51 mg
鉄分(6%) 0.8 mg
亜鉛(2%) 0.2 mg
(2%) 0.04 mg
マンガン(8%) 0.17 mg

他の成分
水分92.5
コレステロール(0)


単位

μg = マイクログラム (英語版) • mg = ミリグラム

IU = 国際単位

%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。
出典: [1]

日野菜(ひのな)とは、滋賀県蒲生郡日野町鎌掛(かいがけ)が原産のカブの一種、伝統野菜である[2][3][4]。現在では九州?信越の幅広い地域で栽培され、滋賀県発祥の野菜の中では全国に広まった最も有名な野菜であると言われている[2]。もっぱら漬物としてのみ食され[2]、日野菜を使った日野菜漬けは、滋賀県名物の漬物として高い知名度を誇っている[2]。地上に出ている部分がきれいな赤紫色になり[5]、古来より発祥地では「あかな」と呼ばれている[3][2]
解説

元来は、湖東日野町で永らく栽培され、現在でも滋賀県内で生産される日野菜の種子のほとんどは、発祥地である日野町で生産されている[2]

現在は湖南草津市で最も多く栽培されている[3]

滋賀県内では、日野菜をカブの一品種ではなく、日野菜として独立して扱い、漬物としてのみ食されている[2]。また、湖南の大津市や草津市などの人口の多い地域では毎年11月頃に八百屋スーパーで漬物用に束にして少し干した物も売られる事がある他、近年では、簡単な塩漬けや酢漬けでも、家で漬けなくなってきているという事情もあることから、既に漬けられた後の物もよく売られている[2]。そして、そのような日野菜は、今も、農村のみならず都市部でもさくら漬や糠漬け等で、食されている[3][6][2]

更に、近年では、漬物以外の新たな利用法も編み出され始めている[6]

原産地である日野町で栽培されたものは日野菜の中でもっとも美味とされる[3]。科学的な詳細は未だ分かっていないが、日野町の畑地は古琵琶湖層の段丘が発違した所にあり、その土質も灰色低地土又は黒墨土と肥沃ではないことが影響しているとされる[3]。実際、日野町よりも肥沃な土地で栽培された日野菜のは大きくなり、も大味なものとなり、日野菜の美味さの特徴が薄れるとされる[3]
栽培

発祥の地、日野町鎌掛地区の他、南比都佐地区、必佐地区、西大路地区を中心とした農家では、現在でも日野菜が栽培されている[2][4][3]。現代では、真夏を除いていつでも栽培することができる日野菜ではあるが、本来はからにかけて栽培するのが一般的であるとされている[2][4]梅雨明け頃から10月上旬にかけて、何度も種を播き、その後40 - 50日の間に収穫していく[2][4]。この際何度も種を播くことで収穫時期を長くする事ができる。この中で、9月下旬に種を播き、吹き付けるが冷たくなる11月中旬ぐらいに収穫するものが最も美味で、色も美しいとされている[2][4]

日野菜は、発芽率が高く、その成長も安定的に育つので、比較的栽培しやすい野菜であるが、形が良く美しいものを作り出すには、手間と技術が必要であるとされる[2]。現代では転作等の影響で、水田等でも作付されているが、本来はが長く伸びるよう深く耕す為に、を高めにすることができるで作る方がよいとされている[2]。畝は幅1メートル (m) で、そこに4筋に種を蒔き、成長するに従い、おおよそ3回間引きをする[2]。この間引きは最終的に苗が、ちょうど握りこぶし一つ程度の間隔になる様にすると良いとされている[2]。根の長さが20 - 25センチメートル (cm) くらいになったら収穫の適期で、寒さにあたると赤紫色が鮮やかになる[5]
歴史蒲生貞秀

日野菜はその昔、室町時代、1470年代に当地の領主であった蒲生貞秀が、自身の居城である音羽城の付近の爺父渓(現在の日野町鎌掛)の正法寺(藤の寺)の観音堂に参詣した際、当地の山林で自生していた野菜を発見し、その菜を漬物にしたところ、色、味のいずれも、大変風流で雅なものであった[7]。そこで観音堂のに命じて菜が野生していた場所を開墾し、栽培させた[7]。その後、それを公家飛鳥井雅親に贈り、さらに、時の天皇後柏原帝に献上されその時、その漬物の美味しさをお喜びになり、その公家を前に、帝が次の和歌がお贈りになられたという所にまで、歴史は遡る[7][8][2][4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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