日野聡
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ひの さとし
日野 聡
プロフィール
愛称日野っち[1]、日野ちゃま[1][2]
性別男性
出身地 アメリカ合衆国サンフランシスコ[3]
生年月日 (1978-08-04) 1978年8月4日(45歳)
血液型AB型[4]
職業声優
事務所アクセルワン[5]
配偶者中島沙樹2014年 - )
公式サイト日野 聡|タレント|アクセルワン
公称サイズ(時期不明)[6]
身長 / 体重170[5] cm / 61 kg

声優活動
活動期間2000年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作パルコ店内ナレーション[7]
ジャスティン・ケーシー(『ERV緊急救命室』)[7][8]
周瑜公瑾(『一騎当千』)アニメデビュー[7][9]
音楽活動
活動期間2010年 -
ジャンルJ-POP
職種歌手
レーベルマリン・エンタテインメント
共同作業者ELEKITER ROUND 0
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

日野 聡(ひの さとし、1978年8月4日[2][4] - )は、日本男性声優アメリカ合衆国サンフランシスコ出身[3]アクセルワン所属[5]
来歴
生い立ち

アメリカ生まれの東京都育ち[2]。アメリカ生まれだが親は外国人ではなく、両親が向こうで出会って生まれたため、そうなったという[10]

5歳までサンフランシスコで暮らしていた[10]。当時は英語を喋っており、家の中では日本語と英語を両方使っており、親の発音を注意したこともあった[10]。当時のアメリカの友人とは日野が来日してから中学・高校時代くらいまでは、その友人が来日していた時は会っていたという[10]

向こうで生まれた日本人の子供も通っていた幼稚園に行っており、その後、日本の幼稚園に転入したため、「早く新しい環境に慣れなきゃいけないなぁ」と頑張っていた[10]。当時の帰国子女は珍しく、周囲の子供の扱いも「外国から来た人だ!」という感覚だった[10]。その時に「英語喋って!」と言われるのがイヤで、英語が嫌いになっていった節があった[10]。このことを「英語をそのまま続けていれば良かったなぁ」と思ったという[10]
キャリア

昔から小劇場の舞台を観に行っており、舞台が好きになって芝居に興味も持つ[10]。当初は友人が所属していた有志の劇団など、その知り合いが出演していた舞台だったが、そのうち商業演劇にも出かけるようになったという[10]

「自分も舞台に立ちたい」と劇団を探してグループこまどりに所属し、芝居の勉強をする[10]。18歳くらいで仕事を始めたが、両親はそれで飯を食べていくとなると大変な職業なため猛反対しており、数年間はレッスンばかりだったから途中で辞めると思っていたようだったという[10]。「仕事として役者をやっていきたい」と言い出したものだったことから、親戚からの反対もあったが、続けられるようになったという[10]
声優として

当初は舞台俳優を目指していたが、パルコ店内ナレーション、『ER緊急救命室』の吹き替えに参加したことがきっかけになり、本格的に声優として活動するようになった[7][8]

活動初期においては主に吹き替えで活動し、2001年からNHK教育で放送された海外ドラマワンだー・エディ』では初主演(エディ役)を果たす[11]

最初に出演したアニメ作品は20 - 21歳くらいの時の学校で観る教育教材のいじめっこA役だった[7]

アニメの声優に憧れ、声優の道に入ったわけではなったが、小さい頃は『ドラゴンボール』、『キン肉マン』などのアニメは観ており、アニメの声も演じたかったという[7][12]。吹き替え分野で活動していたころは「アニメの現場とは縁がないと思っていた」とのことだが[12]、吹き替えのディレクターが参加していた作品である『一騎当千』のオーディションに呼ばれ、同作品にてアニメデビューでアニメ初レギュラーを獲得した[7][9][13]。『一騎当千』の後は、しばらくは外画に戻っていたが、2005年にテレビアニメ『灼眼のシャナ』のオーディションに受かって以降はアニメの出演が増えていった[12]

当時、ライトノベルの大ヒット作のアニメ化だった『灼眼のシャナ』については、アニメではまだ名の知れてなかった日野自身が出演させてくれたことは、「本当に良かった」と語る[12]

ゼロの使い魔』の『ゼロの使い魔 on the radio ?トリステイン魔法学院へようこそ?』で初めてラジオ番組のパーソナリティを担当[14][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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