日野・ブルーリボンII
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日野・ブルーリボン


QDG-KV290N1 近鉄バス

ブルーリボン(Blue Ribbon)は、日野自動車1951年 - 1975年と、1982年以降販売している大型バス。2000年6月には、大幅なマイナーチェンジによりブルーリボンシティとなり、さらにハイブリッドバス以外は、2005年1月から2005年9月にかけていすゞ・エルガとの統合車種ブルーリボンIIへと移行し、2015年より2代目ブルーリボンが製造されている。本記事ではそれらを含め、日野が発売してきた大型路線バス・9m大型路線バスを一括して扱う。

「ブルーリボン(初代)」ならびに「ブルーリボンシティ」の途中までは日野車体工業が製造していたが、現在は2002年10月に日野自動車・いすゞ自動車が合弁で設立したジェイ・バスが製造している。ジェイ・バス移行後も製造事業所は車種により異なっており、「ブルーリボンII」と「ブルーリボン(2代目)」は旧・いすゞバス製造の事業所である宇都宮事業所で製造されているが、かつて販売されていた「ブルーリボンシティ」は旧・日野車体工業の事業所である小松事業所で製造されていた。ブルーリボンRU60・63系観光バスについては「日野・セレガ」を参照
センターアンダーフロアエンジンバスBD10(金産車体)
日野自動車のカタログカラー
この塗装は「ブルーリボンカラー」と呼ばれ、国際興業をはじめ多くのバス事業者が自社のカラーリングに取り入れたことでも知られる。BT11(金産車体)大阪市営バス
Osaka Metro(旧:大阪市交通局)保存車

センターアンダーフロアエンジンバスとは、車両中央部(ミッドシップ)の床下に水平シリンダーのエンジンを配置する方式のことで、他社のリアエンジン方式とは一線を画していた[1]。エンジンを床下に置くことで、車内の段差を廃して床を最後尾までフルフラットにすることが可能となり、乗車定員を増やせるとともに、前後2扉の場合に後扉を最後部に配置することができるのが特徴である。「ミッドシップ#バス」も参照

日野自動車の前身である東京瓦斯電気工業時代にも「ちよだバストレーラー」として、鉄道省省営バス向けにセンターアンダーフロアエンジンバスを製造していた実績がある[1]。センターアンダーフロアエンジンバスは、戦後の国産バスでは日野自動車のみが製造していた。日本国内の戦前の例では他に、トレーラーバス用のスミダ・BT型トラクタ(現:いすゞ自動車)がある。
ブルーリボンBD系

1952年昭和27年)末に発表されたセンターアンダーフロアエンジンバスBD系に、日野自動車がブルーリボンと名付けたのが始まりで、車名「ブルーリボン」は社内公募で決定された[2]1950年代の日野の代表的なバス車種である[1]。前扉対応のBD10系列と中扉専用のBD30系列がある。

また左ハンドル仕様のBD22型(BD32型の輸出仕様)が米軍統治下の沖縄で使用され、従来のボンネットバスに代わり普及した[1]

BD系は1963年(昭和36年)まで製造され、全国各地のバス事業者に納入された[注釈 1]

ブルーリボンの名は1960年(昭和35年)頃まで使われていたが、その後はあまり使われていなかった。1982年6月に発売された初代ブルーリボン(RU系)[1]で車名が復活し、以降は長く使われることとなる。

2018年日本自動車殿堂歴史遺産車」に、バス車両としては初めてブルーリボンBD10型が選ばれた。日野自動車の車両としても初の選出となる[3][2][4]。また公益社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術330選」にも選定されている[5]
派生車種 (BG/BK/BN系)

1955年(昭和30年)には長尺車のBG系[1]、短尺車のBK系(9m車、BK10/BK30)がラインナップに加わった[1]。長尺車のBG系は主に観光用であったが中扉仕様もあり、東京急行電鉄(現:東急バス)などに路線車としても納入された[1]。また馬匹輸送車のベース車としても使用され、BG製造終了後もCGトラックシャーシとして生産された[1]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1960年(昭和35年)には[要出典][注釈 2]、BD系とBK系の中間尺のBN系が登場した。セミフレームレス構造を採用し[1]軽量化を図ったが、数年で製造終了している。

短尺車のBK系は、BD系と同様に1963年(昭和36年)まで製造され、1961年(昭和36年)にはBT系へ発展した。

BK32(1958年式)
松本市図書館 中山文庫 移動図書館(前面)

BK32(1958年式)
松本市図書館 中山文庫 移動図書館(側面)

BT系

短尺車のBK系をモデルチェンジする形で、1961年(昭和36年)にBT系[1]が登場した。当初はBT51とBT71の2型式が登場し、ホイールベースはともに4.3mであるが、BT51が前扉の設置が可能なフロントオーバーハングを持つのに対し、BT71は中扉専用車である。BD系と同様、BT51/71系も全国各地に納入された。

1969年(昭和44年)にBT71の製造を終了、BT51はホイールベースを4.8mに延長してBT51改にモデルチェンジするとともに、都市部の事業者向けにフロア高さを下げたBT100(DS60型・155ps)が登場した。この時点でBT51改・BT100共に前後扉車が中心となったが、この頃には収容能力がほぼ同程度のリアエンジンバスRE系が登場しており、整備のしやすさでも一日の長があるリアエンジン車が主流になるのに従い、両型式ともに1975年(昭和50年)に生産を終了した。なお、BT系は移動採血車のベース車など特装用途として存続した。

BT100系の主な導入事業者は、生産終了まで指定型式として納入していた大阪市営バスをはじめ、近畿日本鉄道(現:近鉄バス)や南海電気鉄道(現:南海バス)など、後乗り前降り方式で運行される地域が過半数を占めている。BT系はリアエンジンの前後扉車と逆に戸袋が前位に設置されており、後扉が左側面最後部に取り付けられているのが特徴である。なお、近鉄ではBT100よりホイールベースを伸ばしRE140型並みとしたBT100改を特注で購入し、この特注型では後扉の後位に三角窓を設けていた[6]ことが特徴であった。


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