日進町
町丁
川崎ルフロン
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度31分29秒 東経139度41分37秒 / 北緯35.524742度 東経139.693697度 / 35.524742; 139.693697
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 川崎市
行政区川崎区
人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1])
人口7,212 人
世帯数4,794 世帯
面積([2])
0.295182575 km²
人口密度24432.34 人/km²
設置日1964年(昭和39年)11月
郵便番号210-0024[3]
市外局番044(川崎MA)[4]
ナンバープレート川崎
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日進町(にっしんちょう)は、神奈川県川崎市川崎区の町名である。住居表示は実施されておらず、丁目は設けられていない[5]。面積は295182.575m2[2]。 川崎区の北西部に位置し、県道川崎町田線の北東側では、川崎駅東口の駅前広場南側のJR東海道本線と京急本線に挟まれた一角、県道の南西ではJRの線路から国道15号(第一京浜)の間に町域をもつ。北西はJRの線路を挟み幸区に接する。駅前広場に面し、川崎日航ホテルと大型商業施設川崎ルフロンが建つ。川崎ルフロンは、1988年のオープン当初は丸井と西武百貨店を核テナントとしていたが、西武百貨店は2003年に撤退し、2004年からはヨドバシカメラと専門店街が入居した。川崎ルフロンに隣接して、オフィスビルのキューブ川崎(旧 日本アイ・ビー・エム川崎ビル[6])と興和川崎東口ビル[7]が建つ。両ビルは日本アイ・ビー・エムが拠点を置いていた。興和川崎東口ビルの中層部はピロティ構造で、駅前広場から住宅団地サンスクエア川崎まで、車道と平面交差しない歩行者動線を構成する。キューブ川崎、興和川崎東口ビルと県道の間はUR賃貸住宅「サンスクエア川崎」、太田総合病院、川崎能楽堂[8]があり、JRの線路沿いにNTTDoCoMo川崎ビルが建つ。県道の西側は、旧堤根地区を中心に簡易宿所が軒を連ねていた[9]。2017年には3丁目にヨネヤマが運営する商業ビルunicoが開店した[10]。 京浜急行の高架橋が上並木公園を斜めに横断し、その南方に旧東海道が通る。江戸時代前期の俳人松尾芭蕉は1694年(元禄7年)5月に江戸深川から伊賀国に旅立った際、川崎宿で門人らと別れた。その時に詠んだ「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」の句碑が残る[11]。旧東海道と国道15号の間には川崎市立川崎小学校があり[9]、旧東海道沿いの八丁畷駅近くには2003年に南町から川崎警察署が移転してきた。 1964年(昭和39年)に、土地区画整理事業に合わせ川崎市砂子、古川通、堤根、上並木、池田町、新宿、見染の一部から設立された。町名は、この地が日進月歩発展することを願って付けられた[12]。 2015年5月17日、簡易宿所「よしの」から出火。死者11人を出す被害となった(川崎市簡易宿泊所火災)。火災後、町内から簡易宿泊施設および施設を利用していた高齢の生活保護受給者が減少し、街並みに変化が生じた[13]。 上記の火災に象徴されるように、かつては日雇い労働者が多く集まる地区であった。近年では川崎市中心部に近い立地条件を生かして、川崎市が簡易宿泊施設に外国人観光客を呼び込んだり、地元企業が古いビルをオフィスやスポーツ、飲食などのための複合施設「unico」(ウニコ)[14]にリノベーションしたりするなどの動きが見られる[15]。 2024年(令和6年)3月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 町丁世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口
地理
川崎警察署
NTTDoCoMo川崎ビル
川崎日航ホテル
興和川崎東口ビル
ヨネヤマが運営する商業ビルunico(2017年オープン)
歴史
世帯数と人口
日進町4,794世帯7,212人
人口の変遷
1995年(平成7年)[16]5,394
2000年(平成12年)[17]6,504
2005年(平成17年)[18]7,332
2010年(平成22年)[19]7,159
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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