日進町_(さいたま市)
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■日進町
町丁
日進駅(2011年2月)
■日進町日進町の位置
北緯35度55分49.11秒 東経139度36分32.79秒 / 北緯35.9303083度 東経139.6091083度 / 35.9303083; 139.6091083
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
北区
地域大宮地区
人口(2017年(平成29年)9月1日現在)[1]
 ? 合計31,902人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号331-0823[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮

日進町(にっしんちょう)は、埼玉県さいたま市北区町名。現行行政地名は日進町一丁目から日進町三丁目。郵便番号は331-0823[2]。本項では日進町の前身である加村(かむら)および西谷村(にしやむら)についても述べる。
目次

1 地理

1.1 地価


2 歴史

2.1 上加村

2.2 下加村

2.3 西谷村

2.4 大成村

2.5 日進町の成立およびそれ以降


3 世帯数と人口

4 小・中学校の学区

5 交通

5.1 鉄道

5.2 道路


6 施設

7 脚注

8 参考文献

地理

さいたま市北区中西部に位置する。町域の中央を南北に長く大宮台地があり、東部に向かって緩やかに傾斜しながら町境の切敷川に至る。西部は町境をなす鴨川沿いの沖積平野や、開析谷が入り組んだ起伏のある地形となっている。奈良町宮原町大成町櫛引町大宮区西区に跨る三橋、西区内野本郷宮前町上尾市戸崎と隣接する。
地価

住宅地の地価は、2015年平成27年)1月1日公示地価によれば日進町2丁目1784番2の地点で17万3000円/m2となっている[4]
歴史

日進町があった一帯は古くは南北朝期より見出せる足立郡に属する加村で、賀村とも書かれた。この加村は中世末期か近世の初期頃より上加村と下加村に分村された[5]

その後の日進町の前身の村々は日進町の成立まで以下の変遷を辿った。
上加村

江戸期は足立郡吉野領に属する上加村であった。さらに古くは水判土荘に属していたと云われている[6]

はじめは幕府領、1608年慶長13年)より知行旗本内藤氏[6]

1666年寛文6年)より再び幕府領となる[6]

1828年文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属していた[6]

1871年明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。

1873年(明治6年)4月6日 - 満福寺を仮用して上加学校(現さいたま市立日進小学校)が開設される。

1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上加村が周辺六ヶ村と合併して日進村となる[6]。日進村の大字上加となる。

1940年昭和15年)11月3日 - 日進村が北足立郡大宮町宮原村大砂土村三橋村と合併し、市制施行により大宮市となる[7]。大宮市の大字となる。

1958年(昭和33年)7月10日 - 区画整理の実施により、大半が日進町二丁目の一部となる[8][6][9]
(以降は下記の日進町の成立節を参照。)
下加村

江戸期は足立郡吉野領に属する下加村であった。さらに古くは大谷領に属していたと云われている[10]

1624年寛永元年)より知行は旗本柴田氏[10]

1698年(元禄11年)より幕府領、以降幕末まで帰属の変遷はなし[10]

1828年(文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属していた[10]

1871年(明治4年)11月13日 - 埼玉県の管轄となる。

1879年(明治12年)3月17日 - 北足立郡に属す。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、下加村が周辺六ヶ村と合併して日進村となる[10]。日進村の大字下加となる。

1940年(昭和15年)11月3日 - 日進村が周辺四ヶ町村と合併、市制施行により大宮市となる。大宮市の大字となる。

1958年(昭和33年)7月10日 - 区画整理の実施により、日進町一丁目の一部、および櫛引町二丁目となる[8][10][9]。これにより大字下加は消滅する。

西谷村

江戸期は足立郡大谷領に属する西谷村であった。さらに古くは高鼻荘に属していたと云われている[11]

はじめは幕府領、1624年(寛永元年)より知行は旗本柴田氏[11]

1698年(元禄11年)より再び幕府領、1702年(元禄15年)より知行は旗本小川氏[11]

1828年(文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属していた[11]

1871年(明治4年)11月13日 - 埼玉県の管轄となる。

1879年(明治12年)3月17日 - 北足立郡に属す。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、西谷村が周辺六ヶ村と合併してと合併して日進村となる[11]。日進村の大字西谷となる。

1940年(昭和15年)11月3日 - 日進村が周辺四ヶ町村と合併、市制施行により大宮市となる。大宮市の大字となる。

1951年(昭和26年)4月1日 - 大宮市立日進北小学校(現さいたま市立日進北小学校)が開設される。

1955年(昭和30年) - 大宮西谷県営住宅が建設され、翌年竣工する[11]

1958年(昭和33年)7月10日 - 区画整理の実施により、日進町三丁目となる[8][11][9]。これにより大字西谷は消滅する。

大成村「大成町 (さいたま市)」を参照

1958年(昭和33年)7月10日 - 大字大成が櫛引町一丁目の一部、日進町二丁目の一部となる[12][8][13]。これにより大字大成は消滅する。

日進町の成立およびそれ以降

1958年(昭和33年)7月10日 - 大字上加と西谷の全域と大字下加・大成の各一部から大宮市日進町一丁目?三丁目が成立[8][9]

2001年平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市の合併によりさいたま市が発足、さいたま市の町名となる。

2003年(平成15年)4月1日 - 政令指定都市に移行し、さいたま市北区の町名となる。

2008年(平成20年)2月9日 - 大字上加(小字原、松原、東谷)の残部が日進町二丁目に編入される[14][15]。これにより大字上加は消滅する。

2008年(平成20年)11月22日 - さいたま都市計画事業日進東土地区画整理事業完成により地番変更。日進町二丁目の一部が宮原町 (さいたま市)3丁目、大成町 (さいたま市)4丁目に編入[16][15]

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。埼玉県内では小川町(約3万人)よりも人口が多い。

丁目世帯数人口


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