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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。日記 日露戦争に出征した兵士が書いた日記
日記(にっき)は、個人が日々の出来事を記録した文書である。単なる記録として扱われるものから、文学として扱われるものまで、その内容は様々である。ある人物の生涯にわたって記されるような長期にわたるものから、ある旅(旅日記、航海日誌)、ある職務(日報)、ある事件などの間だけ記された短期のものまで、期間・分量も様々であり、西洋・東洋を問わず、世界的に存在する。 日記が書かれる主な契機の一つとして、旅の記録がある(これが書物にまとめられると紀行文となる)。仕事であれ、私的な所用であれ、戦争への従軍であれ、特別な出来事の内容、見聞、心覚えを記したものとして日記は書かれた。古代ローマのカエサルがガリア征服の経過を記した『ガリア戦記』がその有名な例である。 日本でも、遣唐使の随行日誌など、旅の日記(紀行)の伝統は古く、円仁の『入唐求法巡礼行記』のように世界的に著名な紀行が、9世紀に生まれている。 平安時代、9世紀末の日本では、国家体制の変化のもと、儀式化した政務のために王朝貴族たちは、外記日記など国家の記録とは別に私的な日記を作成し始める。この貴族たちの日記作成の流行をもとに、女性たちの回想録的な日記文学が生まれてきたと考えるべきであろう。その背景には、仮名文学の成熟、浄土教の発展による内省的な思考の深化などが認められる。紀貫之の『土佐日記』を始めとして『蜻蛉日記』、『紫式部日記』、『和泉式部日記』、『更級日記』、『讃岐典侍日記』などの平安時代の女流日記や『弁内侍日記』、『十六夜日記』などがその代表例である。 男性貴族の日記の多くは漢文で書かれており、歴史学の用語として漢文日記とも呼ばれるが、近年これら儀式のための先例のプールやマニュアルとして作成された日記を「王朝日記」として新たに概念化する学説も出されている(参考文献;松薗2006)。 中世までは、王朝貴族(公家)・僧侶にほぼ限られていた日記も、中世末から近世に入ると、階層的に多様化し、量的にも格段に増加していく。 近代に入ると、西洋の個人主義などの影響を受け、プライベートの個人的秘密を吐露するために書かれたものも出てくる。
日記文学