日色ともゑ
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ひいろ ともえ
日色 ともゑ
本名中園 ともゑ
生年月日 (1941-06-04) 1941年6月4日(82歳)
出身地 日本東京都[1]
職業女優声優
ジャンルテレビドラマ映画舞台
活動期間1962年 -
配偶者中園正樹(1969年 - 2018年)
所属劇団劇団民藝
主な作品
テレビドラマ
旅路
おていちゃん
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日色 ともゑ(ひいろ ともえ、1941年6月4日[1][2] - )は劇団民藝所属[2]女優。本名は中園ともゑ。東京都出身[1][2]。父親は東京新聞社社員で将棋観戦記者・演芸評論家であった日色恵。1969年に結婚した夫は建築家中園正樹(株式会社松田平田設計代表取締役社長)。
略歴

1960年東横学園高等学校(現・東京都市大学等々力高等学校)卒業後、劇団民藝俳優教室入所

1961年、劇団民藝に入団、宇野重吉に師事し、演技を学ぶ。

1967年NHK朝の連続テレビ小説旅路』のヒロインを担当。

1969年結婚

人物

小学生の時に観た映画『原爆の子』(新藤兼人監督作)に心を打たれたことが役者を目指す原点となる。自身も戦争で祖母と叔父、叔母を亡くしており、近年も平和の尊さを訴える朗読劇に積極的に参加している。

大草原の小さな家』の吹き替えの依頼が来た当初は声優の経験がほとんど無かったことから自信が持てなかったので、1クール(22話分)だけのつもりで引き受けたという。しかし番組は好評で十年を越す長寿番組になり、共演した子役たちからは現在も「お母さん」と慕われ、交流が続いているという。

公演で新潟県を訪れた際とても好評だったことがきっかけで、近年は農業教室も開いており、自ら栽培し収穫した米は「ともゑ米」の銘柄にもなっている[3]
エピソード

1968年(昭和43年)、同10月21日から31日まで開催された「第1回アジア・アフリカ映画祭」に出席のため、旧ソビエト連邦ウズベク共和国(現・ウズベキスタン)の首都タシケントを訪れている。

父親が将棋の観戦記者だったこともあり、幼少の頃から父親に付いて対局場などに出入りする機会が多く、大内延介米長邦雄といった同世代の棋士とは、彼らの修業時代から数えて五十年来の付き合いという。米長がかつて、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際も、おともだちとして日色を紹介した。

6枚落ちのハンデをもらった対局で大山康晴に勝利した。

60歳で終活を始めており、現在も進めている。数年前から自分が眠るためのを用意している。

『大草原の小さな家』でカレン・グラッスルの吹き替えを担当することになったきっかけは監督に「カレン・グラッスルと顎の骨格が似ているので声も似ているだろう」と判断されたことである。

カレン・グラッスルがカントリーマアムのCMに出演した際当初は別の役者が吹き替えを担当していたが、当時の不二家の社長夫人が「日色ともゑの声でないと違和感がある」と社員に伝えたことがきっかけで、急遽CMでも日色が吹き替えを担当することになった。当時日色は劇団での地方巡業中だったため、大阪までスタッフが赴き収録した。

出演
映画

非情の青春(1962年、東宝)

証人の椅子(1965年、大映)

ドレイ工場(1968年、『ドレイ工場』製作上映委員会)

娘の季節(1968年、日活)

黒部の太陽(1968年、日活・三船プロダクション石原プロモーション

喜劇 大泥棒(1971年、松竹)

喜劇 命のお値段(1971年、松竹)

喜劇 怪談旅行(1972年、松竹)

娘たちは風にむかって(1972年、ほるぷ映画)

虹をわたって(1972年、松竹)

喜劇 日本列島震度0(1973年、松竹)

急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS(1974年、東宝)

教室205号(1974年、青銅プロ=共同映画社)

瀬戸はよいとこ 花嫁観光船(1976年、松竹)

東京大空襲 ガラスのうさぎ(1979年、共同映画全国系列会議)

動乱(1980年、東映)

日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章(1981年、にっかつ)

クララ白書 少女隊PHOON(1985年、東宝)

危険な女たち(1985年、松竹)

植村直己物語(1986年、東宝)

郡上一揆(2000年、映画『郡上一揆』製作委員会)

テレビドラマ

若ものたち
(1962年、NHK

東京の女性(1963年、NHK)

煙突のあるオアシス(1963年、NHK)

窓をひらけば風がはいる(1963年、NHK)

判決 第134話「下請業者」(1965年、NET

木下恵介劇場記念樹」(1967年、TBS

人生の並木路(1966年、TBS)

白雪劇場船場」(1967年 - 1968年、KTV

連続テレビ小説(NHK)


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