日米会話手帳
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日米會話手帳
発行日
1945年10月3日(奥付による、実際は9月15日
発行元科学教材社
ジャンル語学書
日本
言語英語日本語
形態四六半截判
ページ数32
コード.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NCID BB07213099
OCLC 48523722

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『日米会話手帳』(日米會話手帳、にちべいかいわてちょう、: ANGLO-JAPANESE CONVERSATION MANUAL)は、1945年昭和20年)9月15日奥付では10月3日)に日本で発行された英会話用の小冊子である。わずか32ページのごく簡単な内容ではあったが、玉音放送のわずか1か月後に発売され、連合国軍による占領開始直後の日本で総計360万部ないしそれ以上が発行された、戦後初のベストセラーミリオンセラー)書籍として知られる。
内容

戦後に企画発行された出版物の第一号とされる[1]

発行者は科学教材社となっているが、実際は誠文堂新光社が企画し、関連会社であった科学教材社の名義で発行したものである[2][3]。なお、編者を誠文堂新光社[4]、もしくは同社社長の小川菊松[5]としている文献があるが、冊子自体には「科学教材社刊」とあるだけで、編者・訳者などの表記はない。

四六半截判(四六判の半分、縦10cm×横13cm)で全32ページ、定価80。「I. 日常会話(Everyday Expressions)」、「II. 買物(Shopping)」、「III. 道を訊ねる(Asking the way)」の三部構成となっており、各ページの左側に日本語の例文とそのローマ字表記、右側に、それに対応する英語とそのカタカナ発音がそれぞれ表記されている。掲載されている文例は79で、他に173語の英単語が掲載されている[6]
出版の経緯

誠文堂新光社社長小川菊松の回想(『出版興亡五十年』1953年)によれば、小川は1945年8月15日、所用のため千葉県に出張中、房総西線岩井駅玉音放送を聞いた。その直後、小川は東京へと戻る汽車の中で、関東大震災の際に『大震大火の東京』[7]を出版してヒットしたことを思い出し、日英会話に関する出版の企画を思いつき、誠文堂新光社に戻るなり、長男で副社長だった小川誠一郎たちに向かって「どうだ。日米会話の手引きが必要じやないか」と言って驚かせたという[8]。その後、小川は『科学画報』の編集者であった加藤美生に企画を命じて、一晩で和文原稿を作成させたという[9]

以上のエピソードが伝説化している[注釈 1]が、加藤美生は1995年平成7年)の武田徹によるインタビューにおいて、小川社長から指示があったことを否定し、実際の発案者は加藤自身だと主張している。加藤は8月20日ごろ、小川の命で青梅在住の吉川英治のもとに原稿の依頼に行って断られ、その帰路、立川駅青梅線から中央線に乗り換えようとした際、黒人の米兵が英語で会話しているのを見てひらめき、会社に戻ってから小川に「英会話の本をやりませんか」と提案したという[10][11]。なお、連合国軍の先遣部隊が厚木飛行場に到着したのは8月28日であり、その一週間も前に立川駅で米兵を見たというのは辻褄が合わないが、武田は、加藤が見た「米兵」は釈放された捕虜であった可能性を指摘している[12]

発行にあたっては、副社長の小川誠一郎らが、科学書中心の出版社であった誠文堂新光社から際物的でチャチな内容の英会話の本を出版することに反対したため、妥協として、系列会社の科学教材社から出版することになった[2][3]

「凡例」には、「この会話手帳は W. J. Hernan の “What you want to say and how to say it” に準じて作つた。」とある[13]。ただし加藤によれば、「ああ、そんなのも見たなと思い出す程度。なにしろ僕が早稲田の国文出身で横文字はからきしダメ。だから殆ど参考にしてません」といい、実際には戦争中に発行された日会話や日タイ会話の本を参考にしたという[14]。日本近現代史研究者のジョン・ダワーは、「日本の中国占領のとき役だった」日中会話の本が参考にされたことについて、「同じ占領でも、今度は日本が占領される側なのであったが、その皮肉なブラック・ユーモアに、本人たちはまったく気づかなかったらしい」[15]と評している。

編集方針は「持っていれば何かの時に役に立つような、最低限の例文を載せよう」というものであった[14]。もっとも、必要最低限を心がけるあまり例文を削りすぎてしまい、かなりの余白が生じたため(ページによっては半分以上が余白となっている)、メモ欄にして体裁を整えている[16]。例文の英訳を担当したのは、当時、誠文堂新光社刊行の歴史書にかかわっていた関係から同社に出入りしていた、古代オリエント史研究者の板倉勝正[注釈 2]であった。専門外であったため名前を出さない約束での依頼であったが、板倉は戦後40年にあたる1985年(昭和60年)になって、自分が英訳者であることを名乗り出ている[14]。また、小川は、一夜で和文の原稿を作ったと回顧している[9]が、加藤によれば、実際は例文選びから翻訳までは1週間くらいだったという[19]

戦時中の誠文堂新光社では、科学雑誌で軍事技術賛美の編集方針をとっていたため、紙の配給を優先的に受けており、そのことが有利に働いたといわれる[20][21][22](もっとも小川自身は、軍は「資材は少しも呉れなかつた」[23]と主張している)。


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