日立ドキュメンタリー_すばらしい世界旅行
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出典検索?: "日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年7月)

日立ドキュメンタリー
すばらしい世界旅行
ジャンル紀行番組
ナレーター久米明
オープニングすばらしい世界旅行 オリジナル曲
(作曲:山本直純
製作
プロデューサー牛山純一
制作映像記録、日本テレビ

放送
放送国・地域 日本
回数1010

初回から1974年3月まで
放送期間1966年10月9日 - 1974年3月31日
放送時間日曜日 21:00 - 21:30
放送分30分

1974年10月から1975年3月まで
放送期間1974年4月7日 - 1975年3月30日
放送時間日曜日 22:00 - 22:30
放送分30分

1975年4月から最終回まで
放送期間1975年4月6日 - 1990年9月16日
放送時間日曜日 19:30 - 20:00
放送分30分
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『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』(ひたちドキュメンタリー すばらしいせかいりょこう)とは、日本テレビ系列で毎週日曜日に放送されていた、日立製作所ほか日立グループ単独提供の紀行番組である。新聞のラテ欄では『すばらしい世界旅行』と表示される。

1966年10月9日に放送を開始し、1990年9月16日に放送を終了した。放送回数は全部で1010回。開始当初はフィルム制作であったが、1980年代からVTR制作となった。

2007年5月20日から、日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス ドラマ・アニメ・音楽ライブ)での放送が開始された。目次

1 放送時間帯

2 概要

3 制作のきっかけ

4 番組の終了

5 ネット局

6 脚注

7 関連項目

放送時間帯

初回から一貫して毎週日曜日に放送。

日曜日 21:00 - 21:30 (初回 - 1974年3月31日

この時間帯では7年6ヶ月間。プロ野球中継を放送する場合は、20時のドラマ枠(それ以外の時も有り)と共にプロ野球巨人戦中継に差し替えていた(19時開始の時も有り)。また1969年1月 - 4月に20時枠で編成された『サンデー・スペシャル』内で放送されたプロボクシング中継や、1969年10月 - 1970年8月に21時30分枠で不定期に行われるプロボクシング中継『サンデー・ワールド・ボクシング』の拡大版(通常は22:26までの1時間番組)の時も、同中継に差し替えられた。


日曜日 22:00 - 22:30 (1974年4月7日 - 1975年3月30日

日曜21:30の時代劇枠の30分繰上げに伴い時間移動。この時間帯では1年間。この時期のみプロ野球巨人戦中継とは関係無い放送枠だった。


日曜日 19:30 - 20:00 (1975年4月6日 - 最終回)

知られざる世界』開始に伴い時間移動。この時間帯で15年6ヶ月間に亘って放送され、エンディングの『日立の樹』に特徴付けられることから、一般には、この日曜19:30?20:00の番組だと認知されることもある。

1975年4月以降、プロ野球中継放送の場合は、20時のドラマ枠→『久米宏のTVスクランブル』→『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』と共に、プロ野球巨人戦中継に差し替え、更に1978年以後、大型特別番組『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』放送の場合は、同番組に差し替えた。そして1980年4月以降、プロ野球中継が19時開始の2時間番組の拡大されたため、19時番組の『びっくり日本新記録』→バラエティ枠(ドラマの時も有り)→アニメ枠→バラエティ枠(全て読売テレビ制作)も差し替えた。雨天中止の場合は放送。中には19:23頃試合中止になり、当番組からレインコートプロになることもあった。

番組スポンサーである日立製作所は、放送当時よりプロ野球巨人戦中継の複数社スポンサーのうちの1社であった。


概要

その名の通り、世界の国々や民族の文化、風習、宗教、儀式、民俗などを紹介する紀行番組であるが、欧米以外の国々を中心に紹介して放送した。この理由については、後述の「制作のきっかけ」を参照のこと。

プロデューサーは、日本テレビのドキュメンタリー番組を手がけてきた牛山純一

番組開始当時の1966年頃は海外旅行自由化がなされてからまだ2年ほどしか経っておらず、海外旅行は多くの日本人にとって高嶺の花であった。テレビの世界においても、海外を取材した番組は少なかった。この番組は、海外旅行にあこがれる日本人に海外旅行のすばらしさを伝えてきた。

当初は、番組協賛が日本航空だった。

アメリカ、イギリスなど10数か国でも放送された。

放送開始からの数年間は日本テレビの単独制作であったが、牛山が独立した1972年12月以降は牛山ら8名のスタッフが設立した日本映像記録センター(映像記録)との共同制作となった。英BBC、米ABC制作分や海外の映像作家による作品も数回ある。

番組の制作にはエスキモー民族に詳しい東京外国語大学岡正雄教授、インカ文明発掘で有名であった東京大学泉靖一教授ら文化人類学者の協力を得た。題材の相談、資料集めはもちろん外国の学者も紹介してもらった。ディレクターたちは各地域を分担し、半年間は現地で生活しながら取材と撮影にあたった。徹底した現場主義が、この番組の大原則であった。国際人類学民俗学会議ではたびたび招待上映され、パリのル・モンドが「民族的な主題を取り上げ、驚嘆に値する成果を上げた」と絶賛した。またこの映像は国内外の大学の講義にも利用され、博物館にも収蔵されている。さらに学会でも集められたことがない記録や学術論文で触れられたことのない記録もある。

放送されてきた映像の中にはカメラマンがゴリラと直接向き合うという迫力のあるものやとある民族が仲間の死を悔やみ、鉈や棒で自分の頭を打ちつけるという痛ましいものもあった。また男女のキスシーン、民族舞踊を踊る女性などの取材素材が番組のオープニングタイトルに編集されて使われた。制作には東宝が加わり、東宝の水中撮影班を率いた坂野義光監督によって、世界各地の海洋での水中撮影が行われた。

日立製作所ほか日立グループ単独提供(番組冒頭のクレジットはグループ各社のロールテロップの後に「日立製作所(改行右下に小さく)他、グループ各社」、エンディングはブルーバックで「システムとエレクトロニクスの日立グループ」)で、「日立」の部分は番組タイトルにも冠していた。またこの番組で、初めて「日立の樹」のCMが流された(1973年4月 - )。グループ各社のロールテロップ及びこの日曜日の「日立の樹」は『投稿!特ホウ王国』( - 1997年9月)まで続き、とりわけ1973年4月から1997年9月までの24年6か月間に亘って、日本テレビ系日曜19:30?20:00の枠の終盤で「日立の樹」が放送されていた。なお、『元気が出るテレビ!!』が2時間スペシャルになる場合や『24時間テレビ』の場合、グループではなく日立製作所単独の提供になる場合もあった(その場合は「技術の日立」表記)。

ナレーターは、久米明が番組開始時からほぼ一貫して担当した(1973年10月7日放送分「南半球・最後の捕鯨者たち」のナレーターは城達也)。


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