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日立テレビシティ
ジャンル単発特別番組枠
出演者放送番組に準ずる
国・地域 日本
言語日本語
製作
制作TBS
放送
放送チャンネルTBS系列
放送国・地域 日本
1982年4月から9月まで
放送期間1982年4月21日 - 1982年9月
放送時間水曜 21:00 - 21:55
放送分55分
1982年10月から1984年9月まで
放送期間1982年10月 - 1984年9月
放送時間水曜 21:00 - 21:54
放送分54分
1984年10月から1986年4月まで
放送期間1984年10月6日 - 1986年4月12日
放送時間土曜 22:00 - 22:54
放送分54分
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『日立テレビシティ』(ひたちテレビシティ)は、1982年4月21日から1986年4月12日まで、TBS系列局が編成していたTBS製作の単発特別番組枠である。日立製作所一社提供(『Holiday』から移行)。 1970年の『時間ですよ』以来、『水曜劇場』は人気ドラマ枠だったが、1980年代に入ると、視聴率の不振が目立つようになった[1]。このため、TBSでは営業と編成が連携して、スポンサーの枠移動を敢行、日立製作所の一社提供枠を水曜夜9時に置くことにした[1]。当時水曜夜9時枠は、日本テレビ『水曜ロードショー』とテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!』が強く、挟撃されていたTBSは、2ケタの視聴率を獲るのが困難になっていた[2]。日立の意向は「ノンジャンルの特別番組を毎週放送したい」であった[2]。 枠のタイトルは『水曜劇場』から『日立テレビシティ』に替わり、制作プロデューサーは、日立の3時間ドラマなどの縁もあり、大山勝美が担当することになった[2]。また番頭格の制作マネージャーには峰岸進(のち横浜ベイスターズ球団社長)が就いた[2]。オープニング番組は『テレビ・夢・未来』で司会は石坂浩二と宮崎美子[2]。出演者がビートたけし、タモリ、筑紫哲也、竹村健一、中村メイコ[2]。2週目からは青島幸男の直木賞受賞作『人間万事塞翁が丙午』が始まり[2]、『人間万事?』終了後、本来の単発スペシャル企画がスタートしている[3]。 初期のオープニングタイトルに使われていた一部のイラスト(宇宙船など)は、長岡秀星が手掛けたものであり[注釈 1]、末期ではサウンドロゴのみを出す場合もあった。
概要