日産・ブルーバード
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日産・ブルーバード
10代目 U14系セダン
概要
別名ダットサン・ブルーバード(初代 - 3代目、5 - 6代目)
ダットサン・ブルーバードU(4代目)
製造国 日本
販売期間1959年 - 2001年
ボディ
ボディタイプ4ドアセダン
5ドアステーションワゴン
2ドアクーペ
2/4ドアハードトップ
系譜
先代ダットサン・110/210
後継日産・ブルーバードシルフィ→シルフィ
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ブルーバード(BLUEBIRD)は、日産自動車1959年(昭和34年)から2001年まで生産・販売していた乗用車
概要

第二次世界大戦前から続いてきた、17型セダン、戦後のDA型セダン、DB型セダンといったダットサンブランドにおけるセダンの系譜を引き継いでいる。メカニズム的に直系とされているのは、初の戦後設計となったダットサン・乗用車110 / 210型系(210は直列4気筒OHV C型 988 cc搭載)である。日産を代表するミドルセダンとして、タクシー用の車種としても親しまれた。愛好者間での通称は「ブル[注釈 1]」。

最大の競合車種はトヨペット/トヨタ・コロナで、1960年代から1970年代にかけてコロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。
初代 310型系(1959年 - 1963年)

ダットサン・ブルーバード(初代)
310型系
P311型(中期型)
1960年10月 - 1961年8月
P312型(後期型)
1961年8月 - 1963年9月
概要
販売期間1959年8月 - 1963年9月
デザイン佐藤章蔵
ボディ
乗車定員5人
ボディタイプ4ドアセダン/ワゴン
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジン1.2/1.0L 直4 OHV
変速機3速MT
前前:ダブルウイッシュボーンコイル
後:リジッド半楕円リーフ
後前:ダブルウイッシュボーンコイル
後:リジッド半楕円リーフ
車両寸法
全長3,915mm
全幅1,496mm
全高1,470mm
車両重量900kg
その他
ブレーキ4輪ドラム
データモデル1200デラックス 3速MT(後期型)
系譜
先代ダットサン・110/210型系
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発売当時の名称は「ダットサン・ブルーバード」。ダットサン系の本格的な量産型乗用車としては最初の前輪独立懸架採用車となり、在来ダットサンの固定軸に比べて格段に乗り心地や操縦性を改善した。ボディタイプは4ドアセダンのみ[注釈 2]で、グレード構成は、1.0LはSTD、1.2LはSTDとDX。スタイリングは当時日産の社内デザイナーの佐藤章蔵によるもので、世界的トレンドにはやや遅れたデザインではあったが、全体に中庸を得たスタイルで機能性が高く、市場の反応は良好だった。セミモノコックボディと低床式ラダーフレームとを組合せて軽量化と強度確保を図る。主要部品の多くはダットサントラックとの共用で、十分な信頼性を備えていた。乗車定員は当初4名であったが、1959年(昭和34年)10月に後部座席寸法を3人がけ可能に変更して5名となった[注釈 3]。エンジンは先代のダットサン・セダン210型から踏襲された「C1型」(水冷 直列4気筒 OHV 988cc 34PS / 4,400rpm)を主力に設定。後にストロークを再拡大し、1189cc ( 43PS / 4,400rpm ) とした「E1型」も設定(P311 / WP311型)した。いずれも技術提携先のイギリス・BMC社製オースチンB系エンジンをベースとしたストローク変更のバリエーションである。1.2LクラスのE1型エンジン設定の理由は、輸出主戦場と目されたアメリカ合衆国で当時成功を収めていた同クラスのフォルクスワーゲン・ビートル[注釈 4]に対抗した性能確保が目的であった[注釈 5]。当時の日産の主力車種としてモータリゼーションの潮流に与し、4年間に渡るモデルライフを通して良好な販売実績を示した。韓国においては、セナラ自動車(現・韓国GM)によりノックダウン生産され、「セナラ」の車名で販売されていた。ニュージーランドでは1962年5月から販売されており、日本車としては最も早い時期に参入した車種の1台となる。また1963年3月からはオークランド郊外のマウント・ウェリントンにてP312の現地生産が開始され、これは当地で生産された最初の日本車となった。

1959年(昭和34年)8月 - 発売。

1960年(昭和35年)7月 - 日本初となるエステートワゴン追加。

1960年(昭和35年)10月 - マイナーチェンジで出力増強が図られ、1.0L C1型43PS、E1型1.2Lは55PS/4,800rpmに変更され、311型となった。同時にトランスミッションが日本初のフルシンクロメッシュとなり、フロントグリルにはこれを示すエンブレムが与えられた。

1961年(昭和36年)2月 - 日本初の女性仕様車である、「ファンシーデラックス」が追加。ウインカー作動時に鳴るオルゴール、カーテン、サンバイザー組み込みのバニティーミラー、傘立て、ハイヒール立てなど36点もの専用装備があった。

1961年(昭和36年)8月 - マイナーチェンジでフロントグリルテールランプメーターパネルの意匠が変更され、312型となった。この型よりトランクリッドの開閉がキー操作で開き、閉じるとロックされる構造になる。

1962年(昭和37年)4月 - 「サキソマット」のオートクラッチ付車を設定。

1962年(昭和37年)5月 - ニュージーランドで発売開始。

1962年(昭和37年) - 南アフリカ・ロズリンでCKD生産開始。

1962年(昭和37年)9月 - マイナーチェンジでもフロントグリル、テールランプの意匠、フロントスタビライザーが変更。

1962年(昭和37年)12月 - フロントシートにセパレートシートを設定。

1963年(昭和38年)4月 - 「サファリラリー」に参戦するが、2台とも完走とはならなかった。

1963年(昭和38年)5月 - ニュージーランドでP312の現地生産開始 (日本車としては初)。

初代の生産台数は約21万台[1]

WP310型エステートワゴン

WP312型エステートワゴン
(サイドビュー)

2代目 410型系(1963年 - 1967年)

ダットサン・ブルーバード(2代目)
410型系
セダン(前期型)
エステートワゴン(後期型)
概要
販売期間1963年9月 - 1967年8月
デザインピニンファリーナ(前期型)


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