日産・フェアレディZ
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フェアレディZ
240Z(S30)と350Z(Z33)
概要
別名Z/Z-Car/DATSUN Z等
製造国 日本
販売期間1969年 - 2000年
(初代 - 4代目)
2002年 - 2020年
(5代目 - 6代目)
2022年 - (6代目改良型)
ボディ
ボディタイプ3ドア2/4座ファストバッククーペ
2ドアコンバーチブル(4代目 - 6代目)
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
系譜
先代ダットサン・フェアレディ
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フェアレディZ(フェアレディ ゼット、FAIRLADY Z)は、日産自動車が製造・販売するクーペタイプの乗用車である。GT-Rと並んで日産を代表するフラグシップモデルで、日本を代表するスポーツカーとして幅広く知られる。スポーツカーではポルシェ・911とともに、単一車名で半世紀以上継続生産されている数少ない車種である。

なお、車名に「フェアレディ」を冠するのは日本国内のみで、海外ではエンジンの排気量にちなんだ名前で呼称される。ただし、2022年の現行モデルは北米市場を含め日本国外では「NISSAN Z」として販売されている。

また、海外への輸出向けは当初「DATSUNブランドで販売されていた。1983年の3代目以降は「NISSAN」ブランドに統一されている。

フェアレディZは2000年まで平塚市日産車体工場で生産され、5代目以降は追浜(2002-2004年)と栃木(2004-現在)で生産されている。

日本における通称および愛称は主に略称である「Z(ゼット)」だが、北米を中心とした海外においては「Z-Car(ズィー・カー)」などと呼ばれる。
初代 S30型系 (1969年 - 1978年)

日産・フェアレディZ(初代)
S30型

1977年式(C-S31型)
1974年式2by2(GS30型)
概要
別名Datsun 240Z/260Z/280Z(北米)
販売期間1969年 - 1978年(生産終了)
ボディ
乗車定員2/4名
ボディタイプ3ドアファストバック(2/4座)
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジンL20型→L20E型[1] 1,998cc 直列6気筒
S20型 1,989cc 直列6気筒
L24型 2,393cc 直列6気筒[2]
L26型 2,565cc 直列6気筒
L28型 2,753cc 直列6気筒
変速機4速MT/5速MT/3速AT
サスペンション
ストラット[1]
後ストラット[1]
車両寸法
ホイールベース2,305[1]/2,605 mm
全長4,115 - 4,425 mm
全幅1,630 - 1,695[1] mm
全高1,280 - 1,290 mm
車両重量975 - 1,145 kg
その他
ブレーキ
(前/後)ディスク/ドラム(リーディングトレーリング式)
最高速度180 - 210 km/h
系譜
先代ダットサン・フェアレディ
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1969年オープンカーダットサン・フェアレディに代わって発売された。ヨーロッパ製の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら安価であり、北米市場を中心にヒットした。日産のイメージリーダーとして足掛け10年にわたって生産され、全世界での総販売台数は55万台(うち日本国内8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。

海外ではダットサンブランドから発売され、日産の輸出モデルの総称でもあるダットサンの名を世界に知らしめるとともに、日産の海外進出の活路を拓いた記念碑的車両である。現在でも日本国内はもとより、世界的にクラシックカーとしての人気や知名度が高い。
開発の経緯とメカニズム フェアレディ Z432

1960年代当時、米国日産の社長を務めていた片山豊は、ダットサンの北米市場拡販のために強力なイメージリーダーとなるモデルを求めていた。イギリス製小型スポーツカーの模倣に留まる従来のダットサン・フェアレディでは市場での競争力が不十分であり、年々厳しくなる北米の安全基準にも適合できなくなると考えていた。

片山はアメリカ市場でのニーズに適合した新しいスポーツカーの開発を要望し、1960年代中期から、腰の重い日産本社に対して熱心な働きかけを重ねた末に、当時の日産社長であった川又克二からようやく開発の了承を得た。この時、冷遇されていた当時のスポーツカー開発部門に激励の意味を込めて「勝利」を祈願して用いられるZ旗を送ったのが、フェアレディ「Z」の由来となった[3][4]。片山はアメリカ市場のニーズを見据えて日産本社の開発陣に明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、初代Zのプロデュースを主導した。片山自身はインタビューで「ジャガー・Eタイプのような車を造ってくれ」との要望を出したと述べており、初代Zのスタイリングはその期待を十分に満たすものとなった。

Zのスペックは高度なもので、軽量なモノコックボディに、四輪独立懸架のストラット式サスペンションを備え、市場で先行するジャガー・Eタイプやポルシェ・911などに肉薄した。

搭載されるL型直列6気筒エンジンは、SOHC動弁機構を備えた2 Lクラスの最新式ではあったが、素性は鋳鉄シリンダーブロックターンフロー燃焼室を組み合わせた手堅い実用型エンジンであった。北米向け仕様は2.4 Lへの排気量拡大でトルクを太くしたL24型エンジンを採用してパワー対策としており、これもまた手堅い手法であり、低速域からのトルクにも富み、大排気量のアメリカ車と同様に実用域で扱いやすかった。ジャガーやポルシェの高性能ながら複雑なパワーユニットに対して、L型エンジンはシンプルな設計のため手荒な扱いにも耐え、信頼性が高く整備も容易な、アメリカ市場でのユーザーニーズに合致したパワーユニットであった。この面では、実用車向け量産エンジンをチューニングして搭載していたかつてのイギリス製スポーツカーの伝統を受け継いでおり、Zに実用型スポーツカーとしての優れた特性を与えた。

デザインは、松尾良彦率いる日産自動車第1造形課・第4デザインスタジオに託された。この部署はスポーツカー担当部署であったものの、少量生産を前提とした小さな部署であり、メディアでは第4デザインスタジオチーフだった理由からS30のチーフデザイナーは松尾と紹介されることが多いものの、実際は吉田章夫(ふみお)案のファストバックをベースに松尾案のフロントマスクを合わせたデザインが基本となっている。その後、1967年(昭和42年)に田村久米雄、西川暉一、桑原二三雄の3名がスタジオ入りし、最終的な造形修正は田村が担当した[5]

ボディタイプは各種検討されており、松尾がS30発売以前にデザインしていたロングホイールベースの2by2は1973年(昭和48年)秋にシリーズに追加された。オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つタルガトップモデルが設計され、プロトタイプまで製作された。また、将来的な馬力向上の要求には、プレジデント用のY40型V型8気筒エンジンで対処する松尾の案もあったが、いずれも市販化には至っていない。スケッチで終わったモデルには吉田のデザインしたレース仕様のものや、松尾のデザインした4人乗りスポーツワゴンなどもあった。


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