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やノートページでの議論にご協力ください。1988年より「セドリックシーマ」として発売された同社の車については「日産・シーマ」を、中国市場で販売される高級車・ティアナセドリックについては「日産・ティアナ」をご覧ください。
日産・セドリック
7代目 ハードトップ
概要
別名日産・グロリア(3代目以降)
製造国 日本
販売期間1960年-2004年
※7代目の営業車のみ2014年まで
ボディ
ボディタイプ2/4ドアハードトップ
4ドアセダン
5ドアステーションワゴン/ライトバン
駆動方式FR
系譜
先代日産・オースチンA50ケンブリッジ
後継日産・フーガ
※グロリアと統合
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セドリック(CEDRIC)は、日産自動車が1960年から2004年まで製造・販売していた乗用車(高級車)である。自家用車のほか、タクシー、ハイヤー、パトカー、教習車としても多く採用され、同クラスのトヨタ・クラウンとは長年の競合車種であった。ボディタイプはセダンとハードトップを基本とし、ライトバンおよびワゴンが年式によりラインナップされた。
3代目230型からは、旧プリンス自動車工業より引き継がれたグロリアと姉妹車の関係になり、2車をあわせて「セド・グロ」と通称された。
なお、2014年11月まで製造・販売されていた同名の営業車についてはセドリック営業車を参照。また、一般、官公庁向けに販売されていた自家用セダンについてはセドリックセダンを参照。 日産・セドリック(初代) ライセンス生産が行われていた日産・オースチンA50ケンブリッジに代わる純国産中型乗用車として開発。ラップアラウンドウィンドウと呼ばれるサイドに回り込んだフロントウインドシールドと前傾したAピラー、縦型デュアルヘッドランプやテールフィンなど、アメリカ車の影響を強く受けたスタイルが特徴[注釈 1]。リアコンビネーションランプをはじめとするリアエンドのスタイルにはピニンファリーナがデザインしたオースチンA60ケンブリッジ(1961年 - 1969年)の影響も見られる。 日産初の一体構造車体(ユニットボディ = モノコックボディ)を採用。エンジンは当初はG型直列4気筒1,500 cc(71 ps)、後にH型直列4気筒1,900 cc(88 ps)、K型直列6気筒2,800 cc(115 ps)、直列4気筒2,000 ccのSD20型ディーゼルエンジンが追加された。ブレーキは4輪ドラムブレーキで、前輪ユニサーボ(リーディングシュー)、後輪デュオサーボ(リーディング&トレーリングシュー)。ステアリングギアボックスはウォームローラー型だった。グレード構成は当初スタンダードとデラックス、後にカスタムとスペシャルを追加。 販売終了前月までの新車登録台数の累計は14万4746台[1]
初代 30型系(1960年 - 1965年)
30型系
1900カスタム(前期型)
カスタム(後期型)
概要
販売期間1960年4月 - 1965年10月
設計統括藤田昌次郎
ボディ
乗車定員6人
ボディタイプ4ドアセダン
ステーションワゴン
ライトバン
駆動方式FR
パワートレイン
エンジン2.8L 直6
2.0/1.9/1.5L 直4
ディーゼル2.0L 直4
変速機3速AT
3速 / 4速MT
前前:ダブルウィッシュボーンコイル
後:リジッド半楕円リーフ
後前:ダブルウィッシュボーンコイル
後:リジッド半楕円リーフ
車両寸法
ホイールベース2,530 mm - 2,630 mm
全長4,410 mm - 4,510 mm
全幅1,680 mm
全高1,520 mm
車両重量1,195 kg
その他
ブレーキ4輪ドラム
最高速度130 km/h(デラックス)
系譜
先代日産・オースチンA50ケンブリッジ(事実上)
後継スペシャルのみプレジデントへ発展
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年表
1960年4月 - 発売。
1960年11月 - ホイールベースと全長を各100 mm延長した1,900 ccのカスタム(G30型)を追加。これは1961年4月に小型自動車の規格が排気量2,000 cc以下、ホイールベース2.7 m以下に変更される事に対応したもの。
1961年5月 - 「1900DX」を追加。
1961年9月 - マイナーチェンジでフェンダーとフロントグリルの形状を変更。
1962年4月 - ワゴンとバンを追加。セダン、ハードトップ含めたフルラインナップは6代目登場まで続く。リヤゲートは電動昇降式のウインドウを下ろした後、下に開く構造である。また、ワゴンは荷室にジャンプシートが設けられており、8人乗りである。このジャンプシートもY30型まで引き継がれている。同時にオートクラッチ付きが設定された。
1962年10月 - マイナーチェンジにより4灯式ヘッドランプが縦から横並びに変更され、国産車初のパワーシートも設定された。