日産・シーマ
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日産・シーマ
5代目 ハイブリッド
概要
別名日産・セドリック/グロリアシーマ(初代)
インフィニティ・Q45(3 - 4代目)
インフィニティ・Q70L(5代目)
三菱・ディグニティ(5代目)
製造国 日本
販売期間1988年 - 2010年2012年 - 2022年
ボディ
ボディタイプ4ドアセダン
駆動方式後輪駆動
四輪駆動(2代目 - 4代目)
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シーマ(Cima)は、日産自動車が生産・販売していた高級Fセグメントセダンである。生産は栃木工場が担当。
概要

1988年昭和63年)、日産自動車が販売していた高級セダン「セドリック」「グロリア」の更なる上級仕様として発売され、モーター店系列(ローレル販売会社)向けの「セドリックシーマ」、プリンス店系列(スカイライン販売会社)向けの「グロリアシーマ」[注釈 1]がラインナップされた。日産には法人ハイヤー向けとして、最高級乗用車「プレジデント」があったが、シーマは一般オーナー向け兼ショーファー・ドリブン・カー(VIPグレード)の最上級のモデルである。全車が「3ナンバー」登録車である。

当初の1年間だけで36,400台が販売され、初代モデルの4年間の販売台数は12万9,000台にも及んだ。この状況は当時の高額商品に対する旺盛な需要の象徴として『シーマ現象』と呼ばれた[1]1991年平成3年)には2世代目モデルに移行したが、景気の後退などの影響もあって販売は減少し、4代目モデルの年間販売台数は294台(2009年(平成21年))に留まり[1]、販売不振と後に施行される最新の安全基準を満たさなくなることを機に、2010年(平成22年)8月をもって一旦生産・販売が中止された[1]。しかし2012年(平成24年)5月にフーガハイブリッドをベースとしたハイブリッド専用車として復活している[2]。詳細は「日産・Y51」を参照

2代目モデルまでは日本国内でのみ販売されていたが、3・4代目は、日本国外で展開されているインフィニティブランドのフラグシップモデルQ45」の兄弟車になった。また4代目はプラットフォームをプレジデントと共有しており、両車種で日産のフラグシップと位置づけられていた(マキシマを有する北米と、セダン市場から撤退した西欧を除く)。5代目は「インフィニティ・Q70」のロングモデルになったため、日本市場での日産ブランドだけでなく海外市場におけるインフィニティブランドの乗用車系のフラグシップの位置付けとされている。
初代 FPY31型(1988年-1991年)

日産・セドリック/グロリアシーマ (初代)
FPY31型
後期型フロント
後期型リア
概要
販売期間1988年 - 1991年
設計統括三坂泰彦
ボディ
乗車定員5人
ボディタイプ4ドアピラーレスハードトップ
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジンV6 3L VG30DET/VG30DE
変速機4AT
前前: ストラット
後: セミトレーリングアーム式サスペンション
後前: ストラット
後: セミトレーリングアーム式サスペンション
車両寸法
ホイールベース2,735mm
全長4,890mm
全幅1,770mm
全高1,380mm(1,400mm)
車両重量1,640kg
その他
ブレーキ4輪ベンチレーテッドディスク
データモデル3.0 タイプII リミテッド
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1987年9月2日
前日にモデルチェンジした、トヨタ・クラウンの3ナンバー版=ワイドボディ版の対抗車として1988年1月に発売予定が報道される[3]
1987年10月
東京モーターショーに出品。
1988年1月18日
販売開始。Y31セドリック/グロリアと同じプラットフォームを使い、ホイールベースは同じであるが、3ナンバー専用の上級車として登場[4]。搭載エンジンはVG30DEV型6気筒DOHC NA・200ps(タイプI、タイプII)とVG30DET型V型6気筒DOHCターボハイフローセラミック式)255ps(タイプII-S[注釈 2]、タイプIIリミテッド)の2機種(のちにレパード(2代目)にも搭載された)。ボディタイプはスタイルを重視し、ベースのセドリック/グロリアの主力モデル同様、センターピラーのない4ドアピラーレスハードトップであった。当時の自動車情勢は、1986年(昭和61年)頃からのハイソカーブームの流れに乗って人々の中流意識の高まりを背景にユーザーの高級志向が高くなっていった。日産の開発陣は、ユーザーが従来の5ナンバーの延長線上ではない本格的3ナンバーモデルを求めている点、ライバルのトヨタもトヨタ・クラウンの3ナンバー版=ワイドボディ版を開発している点、当時の政治状況に税制改革の動きがある点(3ナンバー自動車税の変革など)で高級車の販売競争が激しくなる…などの情報をもとに急遽開発を開始、開発期間の関係でセドリック/グロリアとの同時発売はできずに半年遅れの発売になった。しかし、その半年の遅れとセドリック/グロリアとの印象を大きく変えたことで別格のイメージが付き、5ナンバーと3ナンバーのイメージを同じにしたクラウンとの差別化に成功した。デザインのモチーフは京都・三千院 勢至菩薩坐像で、フードに誇らしげにそえられるエンブレムはアカンサスの葉を模したものである。国産車離れした流麗な外観と動力性能の高さから、当時の国産同クラスセダンとしては異例の一般オーナードライバー向け要素が強い車種として人気を集めた。電子制御エアサスペンションのしなやかな乗り心地もさることながら、アクセルを踏みこんだとき、セミトレーリングアーム式サスペンション車らしく、リヤを沈めて静かな中にも暴力的な加速を見せるその姿は当時中高年の憧れとなり、爆発的なヒットとなった。その感動を忘れられない層のため、その後のモデル(Y32型)以降でもターボ搭載車をラインナップするが、世代を重ねるごとに徐々に廉価版としての位置付けが強くなっていく。一方、その車格および当時の経済情勢から社用車個人タクシーとしても多く採用されており、用途によっては後席居住性に課題を残すこととなった。当初、ユニットはV6の3リッター自然吸気で開発が進んでいたが、ライバルをクラウンではなく2代目トヨタ・ソアラに定め、「ソアラには走りで負けるわけにはいかない」という意向からターボ付きのVG30DETを搭載することになった。このユニットは、元々レパードの開発チームがソアラの7M-GTEに対抗すべく開発していたもので、レパード開発チームも当初は反対したものの、結局シーマ開発担当者の熱意に負けて先述の通り初搭載の座をシーマに譲り、レパードは二番手となったという逸話がある。CM戦略も斬新だった。母体のセドリック/グロリアのCMは「きっと新しいビッグカーの時代が来る」とシーマ誕生を予感させるものだった。更にY31セドリック/グロリアの発表時には久米豊社長が3ナンバー専用車の発売を予告。これに焦ったライバルのトヨタは、シーマ発売前に3ナンバークラウンの販売テコ入れを図ったとも伝えられる。逆にシーマ発売までの半年間は3ナンバーのセドリック/グロリアの買い控えが発生し、5ナンバー(グランツーリスモ等)が販売の主力となっていた。発売一ヵ月後の1988年(昭和63年)2月は3ナンバークラウンを販売台数で抜いた。同車がもたらした「シーマ現象[4][注釈 3][5]」は、シーマだけではなくほかの車種にも少なからずとも波及し、ローレル・セフィーロやシルビアブルーバードなどの日産車をはじめ、他社の高級車(ソアラ、クラウン、マークIIレジェンドなど)へも波及し、自動車市場が高級志向やバブル経済の勢いもあり一気に活性化された。
1989年3月
パーソナルキーの材質を洋白からステンレスに変更。
1989年8月
初のマイナーチェンジ。外装上の変更はフロントグリルの変更とテールランプの透明度の向上にとどまった。内装部はスイッチの形状の変更(角型?丸型へ)やハザードボタンの背景色の変更、 ウッドパネルがフェイクウッドから漆塗りの本木となったことにより落ち着いた雰囲気になった。ライバル車(クラウン)のみに装着されていた、マルチビジョン(富士通テン製)=マルチAVシステム(ソニー製・CDチェンジャー付)が装着できるようになった(Y31セドリック・グロリアのマイナーチェンジ版に準ずる)。タイプIIリミテッドAV(VG30DET車)・タイプIリミテッド(VG30DE車)が追加グレードとして登場。オプション項目として、マルチAVシステム(画面上に地図が表示されるがカーナビではない。標準グレードもあり)などが追加される。地磁気センサー(GPSアンテナに相当)のアンテナが天井にあるため、サンルーフとの同時装着は不可能。また、TVアンテナの関係でリアガラスの熱反射部位が下部約1/3省略されているのもタイプUリミテッドAVの特徴である。

デジタルメーターもオプションで選択できるようになった。白本革インテリアのホワイトセレクションとシルクウールシートを誂えたシルクバージョンが新設され、タイプIIリミテッド/同AVにメーカーオプションで用意された。また、タービンがボールベアリング式となったことによりターボラグが減り、より扱いやすいエンジン特性となった。ライトブルーメタリック色が追加されたのもこの時である。
1990年6月
ライバル車(セルシオ・クラウンV8)などの販売対策上のテコ入れとして、低価格グレードとなるタイプLセレクション(VG30DET車)を投入。タイプIIリミテッドをベースに、タイプIの装備並みに簡略化(エアサス・リアパワーシートを非装備)し、タイプIリミテッドに近い価格で販売されていたグレードである。

室内

2代目 FY32型(1991年-1997年)

日産・シーマ(2代目)
FY32型
後期型 フロント
後期型 リア
概要
販売期間1991年 - 1997年
設計統括楠見記久
ボディ
乗車定員5人
ボディタイプ4ドアセダン
駆動方式後輪駆動 / 四輪駆動
パワートレイン
エンジンV8 4.1L VH41DE
V6 3L VG30DET
変速機4AT
前前: ストラット
後: マルチリンク
後前: ストラット
後: マルチリンク
車両寸法
ホイールベース2,815mm
全長4,930mm
全幅1,780mm
全高1,420mm(1,435mm)
車両重量1,740kg
その他
ブレーキ4輪ベンチレーテッドディスク
データモデル4.1 タイプIII リミテッド
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1991年8月
セドリック/グロリアより2か月遅れてFY32型にモデルチェンジ。車名を「シーマ」に統一。この代から後席居住性およびボディ剛性上有利なセンターピラーを持つ一般的なセダンのスタイルとなり、トヨタ・セルシオ(現・レクサス・LS)やトヨタ・クラウンV8(後のトヨタ・クラウンマジェスタ)に対抗すべくVH41DE型V型8気筒 DOHC 4,130ccエンジンが搭載される。あえて税制上不利な4,100ccとしたのは、従来型で好評だったターボの強烈な加速感をシーマのアイデンティティのひとつと位置づけ、NAで実現するには排気量が4,100cc以上必要でありインフィニティQ45との販売政策上4,100ccとしたためである。FY32型ではエアサスペンションが廃止され、インフィニティQ45でも採用された油圧式アクティブサスペンションが用意された。インテリアはバブル経済を反映し、楡・玉杢模様の本木目フィニッシャー(ただし、コスト面と当時の販売規模の制約上、メーカーオプションの本革シート装着車と前期タイプVシリーズ限定オプションで内装色ブラックチェリーと組み合わせのタン本革バージョンのみの採用に)、イタリア製高級車に見られるようなデザイン重視のアナログ時計、20箇所に設置されたライトが状況に応じて点灯するトータルコーディネート照明、国産車には珍しいタン色の本革内装など枚挙に暇がない。海外輸出はこの時から始まり、香港では「日産西馬」として販売。取り扱い販売会社は先代に引き続き、日産モーター店系列と日産プリンス店系列であった。千葉県では、1990年からグロリアシーマをメーカー公認で取り扱っていた日産チェリー千葉[注釈 4]が新たに戦列に加わったが、その年の秋に日産の高級車勢に逆襲を目論むライバルのトヨタ・クラウンのフルモデルチェンジ及びトヨタオート店トヨタビスタ店向けにトヨタの最上級スポーティーサルーンとして新たに開発された同時発売のトヨタ・アリスト[注釈 5]を迎え撃つ立場になった。
1992年9月
アテーサE-TSを搭載した4WDシリーズ「S-four」が追加設定された。「S-four」シリーズ専用装備として、静電気防止加工100%ウールモケットシートと電動ヒータードアミラーが採用された。4WD車追加に合わせて、2WD車のエンジンも仕様向上が行われ、カタログ燃費表示が全車10.15モードに変更された。
1993年2月
オーナードライバー向けの「タイプ・ツーリング」を追加。鍛造アルミホイールやエクセーヌのシート地を標準で装備する。
1993年9月
セドリック/グロリアに合わせてマイナーチェンジ。先代同様のVG30DET型V型6気筒DOHCターボを搭載する「ツーリング」シリーズが追加される。後期モデルのエクステリアの変更はフロントラジエターグリル変更、コーナリングランプの設置に伴うフロントバンパーデザインの変更、トランクモールの追加などである。


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