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日産・シルビア
5代目 S13型
1988年?1993年
概要
製造国 日本
販売期間1965年-1968年(初代)
1975年-2002年(2?7代目)
ボディ
ボディタイプ2ドアクーペ
2ドアコンバーチブル(5代目、7代目)
3ドアハッチバック(3?4代目)
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
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シルビア(SILVIA)は、日産自動車が1965年から2002年まで生産・販売していたクーペ/コンバーチブル/ハッチバック型普通乗用車(2代目及び3代目のクーペは日産では公式には「ハードトップ」と呼称[1][2])。 初代はダットサン・フェアレディ、2、3代目はサニーをベースとしたスペシャルティカーである。サニーのFF化に伴い、4代目以降は910型系ブルーバード、スカイライン、ローレルなどとコンポーネントを共用しながら、シルビアは生産終了まで一貫してFRレイアウトを採用していた[3][4][5]。 3代目と5代目(S13型)は当時のデートカーとして商業的に大ヒットしたことで知られる。また、4代目(S12型)でスポーツカーとしてのポテンシャルが注目を集めるようになり、5代目(S13型)以降のモデルはドリフト走行やチューニングカーのベース車種として根強い人気を誇っている。 日産・シルビア(初代) 1964年(昭和39年)の第11回東京モーターショーに「ダットサン クーペ1500」として出品された。デザインは、当時日産デザイン室に在籍した木村一男 木村によれば、本車の開発のきっかけは、1962年のトリノモーターショーに出品された日野・コンテッサ900スプリントが話題になったことだという。当初は1963年の東京モーターショーに出品する予定でヤマハ発動機と共同で開発を行っていたが、そもそも上層部の許可を取らずに開発を行っていたため、開催直前になって当時の川又克二社長から咎められ、同年は出品に至らなかった。しかし川又は木村に「(出品したければ)生産計画を持ってこい」と伝え、これにより事実上社長の許可を得た格好になったため、木村は生産計画を立案し、1964年の出品に至ったという。しかしこの計画立案の過程で、日産とヤマハとの関係が解消されたため、以降の製作は殿内製作所(現在の株式会社トノックス)が請け負う形に変更された[11]。 1965年(昭和40年)4月に正式に発売。
概要
初代 CSP311型(1965年 - 1968年)
CSP311型[6]
概要
販売期間1965年4月 - 1968年6月[6]
ボディ
乗車定員2名
ボディタイプ2ドアクーペ[6]
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジンR型 1,595cc 直列4気筒 OHV[7]
最高出力90 PS/6,000 rpm[8]
最大トルク13.5kgm/4,000rpm[7]
変速機4速MT[9]
サスペンション
前ダブルウィッシュボーン式[8]
後半楕円リジッドリーフ式[8]
車両寸法
ホイールベース2,280 mm[7]
全長3,985 mm[7]
全幅1,510 mm[7]
全高1,275 mm[7]
車両重量980 kg[7]
その他
ブレーキ前:ディスク[7]
後:ドラム[7]
最高速度165 km/h[8]
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