UDトラックス株式会社
UD Trucks Corporation
UDトラックス本社
種類株式会社
市場情報非上場
略称UD
本社所在地 日本
〒362-8523
埼玉県上尾市大字壱丁目1番地[1]
設立2007年1月30日
(エヌエー株式会社)
業種輸送用機器
法人番号8030001043599
UDトラックス株式会社(ユーディートラックス)は、日本の自動車製造会社である[1]。埼玉県上尾市に本社を置く[3]。いすゞ自動車の完全子会社。トラックを専門としている[1]ほか、かつてはバスの製造も行っていた。
1935年に安達堅造によって日本デイゼル工業として設立された。鐘淵紡績(後のカネボウ)の傘下に入ると1942年に鐘淵デイゼル工業へ社名変更した。1946年に鐘淵紡績から分社化され民生産業に社名変更。1950年に民生産業の大型商用自動車製造部門が分社化され、民生デイゼル工業が発足。民生デイゼル工業は日産自動車の傘下に入り、1960年に日産ディーゼル工業へ社名変更。2007年に日産からボルボに売却され、2010年に日本ボルボを吸収合併するとUDトラックスに社名変更した。2020年にはボルボからいすゞ自動車が買収した。
なお、日産自動車の傘下にあったため、春光グループに属し、春光会の会員企業である。[5]
概要UDマーク (1955?2009年)UD MINSEIの文字がみられる
1955年(昭和30年)の広告
主力商品は大型トラックで、トレーラーヘッドの国内市場占有率筆頭である。普通トラック国内シェアは日野自動車、いすゞ自動車、三菱ふそうトラック・バスについで第4位。いすゞグループ入り後もボルボ・ブランド製品の輸入・販売は継続し、日本におけるボルボ・トラックス、ボルボ・ペンタ、ボルボ建設機械の各事業も展開している。
国内事業として、大型トラックの開発・生産・輸出・販売、中型・小型トラックの販売、自動車用部品の製造・販売を行うとともに、かつて生産していたバスの整備・補修部品などの販売も継続している[1]。海外事業として、新興国向けトラック(大型・中型・小型)の開発・生産・販売、自動車用部品の製造・販売、トラック・バスの整備・補修部品などの販売を行っている[1]。
旧会社名の略称「日産ディーゼル」や通称の「ニッサンディーゼル」とともに、旧社名当時から「UD」(ユーディー/ユーデー)の名称でも広く親しまれている[6]。
このUDとは、かつてGM式の単流掃気方式2サイクルディーゼルエンジン「Uniflow Scavenging Diesel Engine」を製造し、その頭文字をエンジンの商標としていたことに由来する。UDの商標は2サイクルエンジン製造終了後も継続して使用され、現在はUDを "Ultimate Dependability"(究極の信頼)の頭文字に由来するとしている。
旧社名時代には自動車業界内では主に「日デ」(ニチデ)と略されていた。1972年まで大型バスを、1976年まで大型トラックをそれぞれ製造していた日産自動車の車種と区分を明らかにするため、日本自動車工業会や自動車雑誌が主に用いていた。『鉄道ジャーナル』誌など一部では「日産ディ」の表記も見られる。
運輸事業の現場では、単に「日産」の通称も用いられていた[注釈 1]。
日産グループからボルボグループへボルボグループの協力下で新興国に特化して製造されるQuester
1999年、ルノーは日産自動車との資本提携時に日産ディーゼルへ出資して株主名簿記載順位第2位となり、ルノー指揮下でリストラを進行した。
2003年3月、日産ディーゼル車架装のおよそ6割を担っていた富士重工業伊勢崎製作所がバス車体製造事業から撤退(同年にスバルカスタマイズ工房として独立、2011年より桐生工業伊勢崎工場)。それにともない、バスボディの調達先を西日本車体工業へ集約した。
2005年3月、経営再建が終了してルノー所有株式が放出され、再び日産自動車傘下となった。
2006年3月、筆頭株主の日産自動車が保有する同社株式の19パーセント中、13パーセントをスウェーデンのトラックメーカー、ABボルボへ売却。同社が筆頭株主となった。同年9月には、残る6パーセントもボルボへ売却され、日産自動車との資本関係は消滅した。当時の時点では「日産ディーゼル」の会社名は変更しないと発表された。
2007年2月20日、ボルボは日産ディーゼルの完全子会社化を目的として株式公開買付けを実施すると発表し、同社も賛同を決議した。同年7月23日、買付け成立にともない、東京証券取引所の上場を廃止した。