日清食品株式会社
NISSIN FOOD PRODUCTS CO., LTD.
東京本社
大阪本社
種類株式会社
略称日清食品
日清食
日清
nissin
本社所在地 日本
東京本社 〒160-8524
東京都新宿区新宿6-28-1
大阪本社 〒532-8524
大阪市淀川区西中島4-1-1
本店所在地〒532-8524
大阪市淀川区西中島4-1-1
設立2008年(平成20年)10月1日
(創業は1948年〈昭和23年〉9月4日)
業種食料品
法人番号7120001133929
事業内容即席袋めん、スナックめんを主とするインスタント食品の製造および販売
その他食品事業など
代表者代表取締役社長 安藤徳隆
資本金50億円(2022年3月31日現在)[1]
売上高2047億1000万円
(2022年3月期)[1]
営業利益234億1800万円
(2022年3月期)[1]
経常利益264億8700万円
(2022年3月期)[1]
純利益197億5400万円
(2022年3月期)[1]
純資産1424億7500万円
(2022年3月31日現在)[1]
総資産2104億9700万円
(2022年3月31日現在)[1]
決算期3月31日
主要株主日清食品ホールディングス 100%
主要子会社関連会社参照
関係する人物安藤百福(創業者)
外部リンクwww.nissin.com
特記事項:旧・日清食品株式会社(1948年9月4日設立)は持株会社制移行により2008年10月1日に日清食品ホールディングス株式会社に改組。同日に新会社として設立された。
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日清食品株式会社(にっしんしょくひん、英: NISSIN FOOD PRODUCTS CO., LTD.)は、東京都新宿区と大阪府大阪市淀川区に本社を置くインスタントラーメンを中心とした食品加工会社。日清食品ホールディングス(持株会社)の子会社である。 1948年9月4日に「中交総社」として設立され、1958年「日清食品」として引き継がれた。創業者の安藤百福によって、大阪府池田市の自宅の小屋でインスタントラーメンの草分けのひとつである「チキンラーメン」が開発された。 「日々清らかに豊かな味をつくる」という創業者である安藤百福の言葉が社名の由来となっている。尚、「日清」と名乗る企業のうち日清製粉グループ、日清オイリオグループ、日清医療食品、日清紡ホールディングスとは設立経緯・資本・人材含め無関係である。 2008年10月1日に持株会社体制に移行し、(初代)日清食品株式会社は日清食品ホールディングス株式会社に商号変更した。現在の日清食品株式会社は同社傘下のドライ商品事業会社として、持株会社化と共に会社分割方式で設立された。
概説
企業理念・創業者精神
食足世平(しょくそくせへい) - 「食が足りてこそ世の中が平和になる」
食創為世(しょくそういせい)- 「世の中のために食を創造する」
美健賢食(びけんけんしょく) - 「美しく健康な身体は賢い食生活から」
食為聖職(しょくいせいしょく) - 「食の仕事は聖職である」
沿革
初代
1948年(昭和23年)9月4日 - 大阪府泉大津市に「株式会社中交総社」設立。
1949年(昭和24年)9月 - 「サンシー殖産株式会社」に商号変更し、本社を大阪府大阪市北区に移転。
1958年(昭和33年)
8月25日 - インスタントラーメン「チキンラーメン」発売
12月1日 - (初代)「日清食品株式会社」に商号変更。本社を大阪市東区(現・中央区)に移転。
1959年(昭和34年)12月 - 高槻工場(大阪府高槻市、現在は閉鎖、跡地は住宅地)稼働開始。初代ロゴマーク制定(略称「NSS」を2本の下線と円で囲ったもの)。同時に本社を移転。
1962年(昭和37年)11月 - 一社提供によるテレビ番組「地上最大のクイズ」(フジテレビ系)放送開始( - 1965年5月)
1963年(昭和38年)
7月2日 - 袋入り焼そば「日清焼そば」発売
10月 - 東京・大阪証券取引所第2部に上場。
1964年(昭和39年) - チキンラーメンの類似品が出回る事件が発生。また、品質劣化した類似品での食中毒も発生、この頃よりチキンラーメンの製造年月日記入に踏み切る。
1965年(昭和40年)
7月27日 - 一社提供によるテレビ番組「ちびっこのどじまん」(フジテレビ系)放送開始( - 1969年9月29日)
10月 - 横浜工場(神奈川県横浜市、現在は閉鎖)の稼働開始。
1968年(昭和43年)2月12日 - 袋入りラーメン「出前一丁」を発売。
1969年(昭和44年)7月3日 - 一社提供によるテレビ番組「ヤングおー!おー!」(毎日放送系)放送開始( - 1982年(昭和57年)9月19日)
1970年(昭和45年)10月 - 一社提供によるテレビ番組「日清世界クイズ」(日本テレビ系)放送( - 1971年3月)
1971年(昭和46年)
9月1日 - 2代目ロゴマーク制定(赤と青の円に「N」を基調としたロゴ)。
9月18日 - 「カップヌードル」を発売。
10月 - 関東工場(茨城県北相馬郡藤代町〈現・取手市〉)の稼働開始。
1972年(昭和47年)8月 - 東京・大阪・名古屋各証券取引所第1部に指定替え。
1973年(昭和48年)
6月4日 - 本社を大阪市北区に移転。
9月28日 - 滋賀工場の稼動開始。
1975年(昭和50年)
10月7日 - 下関工場の稼動開始。
10月22日 - カップライスを発売。
1976年(昭和51年)
5月21日 - 焼きそば「U.F.O.」を発売。
8月9日 - うどん・そば「どん兵衛」を発売。
1977年(昭和52年)4月 - 本社を現在地の大阪市淀川区に移転。
1978年(昭和53年)10月 - 本社協力工場として「札幌日清株式会社(現・札幌日清食品株式会社)」を開設。
1981年(昭和56年) - 創業者・安藤百福が会長に就任。また後任の社長には長男・宏寿が就任。
1983年(昭和58年)
7月29日 - チキンラーメン発売25周年記念として3代目ロゴマークを制定(赤い半円に「nISSIn」と入れたもの。同年8月25日使用開始)。このロゴマークは「リップマーク」と呼ばれ、人の食べている口や、食器の丼をイメージしたことに加え、地球の半分に見立て、「『食』が生命・地球を支える」を表現したものでもある[注 1]。
8月25日 - 安藤百福が私財を投じて「日清スポーツ振興財団」(通称安藤財団)を設立。宏寿社長が創業者との経営方針の違いから退任。会長兼社長の体制を採る。
日清食品と安藤百福の私財を投じて協同で「安藤スポーツ・食文化振興財団」(通称・安藤百福財団、安藤財団)を設立。
1985年(昭和60年)6月 - 次男・宏基が代表取締役社長に就任(現・日清食品ホールディングス代表取締役社長)。
1988年(昭和63年)3月 - 東京支社を「東京本社」に改称。東京本社ビル完成。地下1・2階に直営ライブハウス「日清パワーステーション」オープン。
1989年(昭和64年) - 香港永南食品
1990年(平成2年)
7月 - 乳酸飲料会社のヨーク本社(現・日清ヨーク)に資本参加。
ブランドマネージャー制を導入。
1991年(平成3年)
2月 - コーンフレークのシスコーンで知られる菓子会社のシスコ(現・日清シスコ)に資本参加。
2月19日 - 中堅医家向医薬品メーカーのメクトと、その販社である日本メクトを買収。
1992年(平成4年)9月 - 生タイプラーメン「ラ王」発売
1993年(平成5年)
6月 - カップヌードルのTVCM「hungry?」シリーズがカンヌ国際広告映画祭でグランプリを受賞。
8月 - カップうどん「ごんぶと」発売
1995年(平成7年)2月1日 - 陸上競技部創設。
カップスパゲティ「Spa王」発売。
11月 - カップヌードルの国内販売累計100億食を達成。
1996年(平成8年)10月 - 静岡工場の稼動開始。
1997年(平成9年)
6月 - 安藤宏基社長、カンヌ国際広告映画祭でアドバタイザー・オブ・ザ・イヤー受賞。
11月 - 「サイリウムシリーズ」が厚生省から特定保健用食品の認可を取得。
1998年(平成10年)
4月21日 - 日清食品公式サイトを公開。
6月30日 - 日清パワーステーション閉館。最終公演は「THE MUSIC NEVER STOPPED NISSIN POWER STATION LAST DAYS」(6月28・29・30日)。
10月 - メクトを解散。
1999年(平成11年)11月 - 大阪府池田市に「インスタントラーメン発明記念館」(現・安藤百福発明記念館 大阪池田)開館。
2000年(平成12年)
4月 - インターネットショッピングサイト「日清e-めんShop」開設
9月 - 本社直轄4工場(関東・静岡・滋賀・下関)がISO14001の認証を取得。
2001年(平成13年)3月 - 「2002 FIFAワールドカップ」オフィシャルサプライヤーとして参画する。
2002年(平成14年)10月 - 「日清具多」発売。
2003年(平成15年)
4月 ロゴマークのアルファベット綴りが「nISSIn」(小文字形体)から「NISSIN」(大文字形体)に小変更。
8月 - カップヌードルの全世界販売累計200億食を達成。
2004年(平成16年)3月 - チキンラーメン発売45周年目にして590万ケース(1ケース30食入)の年間売上記録を更新。