日清製粉
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この項目では、2001年に設立された会社について説明しています。グループとしての全事業・通史については「日清製粉グループ本社」をご覧ください。

日清製粉株式会社
Nisshin Flour Milling Inc.
本社
種類株式会社
本社所在地 日本
101-8441
東京都千代田区神田錦町一丁目25番地
設立2001年平成13年)7月2日
業種食料品
法人番号2010001074767
事業内容小麦粉、ふすま、その他の加工品および関連商材の製造・販売
代表者山田貴夫(取締役社長)
資本金148億7500万円
売上高2009億4700万円
(2023年3月期)[1]
営業利益77億9100万円
(2023年3月期)[1]
経常利益88億3800万円
(2023年3月期)[1]
純利益▲368億6800万円
(2023年3月期)[1]
純資産509億4100万円
(2023年3月期)[1]
総資産1666億6600万円
(2023年3月期)[1]
主要株主(株)日清製粉グループ本社 100%(2020年31日現在)
主要子会社日清サイロ、日清経営技術センター
関係する人物正田貞一郎(創業者)
外部リンクhttps://www.nisshin-seifun.com/
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日清製粉株式会社(にっしんせいふん)は、群馬県館林市で日本初の機械製粉を行った「館林製粉株式会社」を前身とする企業である[2]日清製粉グループ本社完全子会社。この社名は、1907年(明治40年)3月1日横浜に設立された日清製粉株式会社までさかのぼる[3][4]が、法人としては連続していない。現法人はこの社名の企業としては3代目で、2001年7月1日2代目日清製粉株式会社の持株会社化に伴い分社された事業会社のうちの1社である[2]。当社及び日清食品日清オイリオは資本関係のない別会社である[5]
概要

1900年明治33年)10月に群馬県邑楽郡館林町278番地(現・館林市)に正田貞一郎達により資本金3万円で館林製粉株式会社が設立され、1901年(明治34年)5月3日に日本初の機械製粉を行ったのが始まりである[2]

1907年(明治40年)3月1日横浜市青木町3581番地に資本金100万円で設立された日清製粉株式会社(初代)は、工場建設中から日露戦争後の反動不況で将来性が楽観できないことなどもあり、三井物産の仲介を受けて館林製粉株式会社との合併協議を進め、同年10月22日に両社の合併契約を締結した[3]。同年11月に合併して[6]資本金160万円の日清製粉株式会社(2代目)となった[7]

なお、この合併の際に、地方名の館林ではなく、日清製粉株式会社の名称とすることになったが、合併前の両社の社長が相談役に退任したこともあり、正田貞一郎が専務取締役として事実上のトップとして経営することになった[7]

1908年(明治41年)1月に東武鉄道館林駅に側線を設置した工場を開設し、代官町の工場から移転して、500万バーレルで操業を開始した[8]

日清製粉株式会社(初代)が設立当初から建設を進めていた横浜工場は、1909年(明治42年)8月14日に400万バーレルの生産能力で稼働し、当社の生産能力は900万バーレルに引き上げられた[9]

1910年(明治43年)4月に[6]宇都宮市今泉町に工場を建設中だった大日本製粉株式会社(1907年(明治40年)3月13日設立)を合併し[10]、同年8月20日に宇都宮工場が稼働開始し、当社の生産能力は400万バーレル増加して1300万バーレルとなった[11]

1913年(大正2年)9月に本社の一室に製粉についての化学研究を開始し[12]、1918年(大正7年)5月に横浜工場内に化学研究所を開設[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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