日活ロマンポルノ事件
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日活ロマンポルノ事件(にっかつロマンポルノじけん)とは、1972年昭和47年)に日本映画界の自主統制機関である映画倫理委員会が審査した成人映画が、刑法猥褻図画公然陳列罪容疑で起訴され、日活ロマンポルノが『芸術猥褻か』が裁判で問われ、刑事訴訟に発展した事件である[1]。起訴された被告は、全員無罪が確定した[1]。「日活・ロマンポルノ事件」「日活ロマンポルノ裁判」とも言われる。
概要

この事件は、1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけて公開上映された、日活ロマンポルノ成人映画4作品(『愛のぬくもり』、『恋の狩人・ラブハンター』、『OL日記・牝猫の匂い』、『女高生芸者』)が、警視庁に「猥褻なものだ」として1972年(昭和47年)9月に、日活の映画本部長、製作・配給責任者、監督の6人(村上覚、黒澤満、渡辺輝男、山口清一郎藤井克彦、近藤幸彦)[2]刑法の猥褻図画公然陳列罪で[2]、この映画を上映するに当たって、映画を審査した映画倫理委員会の審査員3人(武井韶平、入名正、荒田正男)[2]が、同幇助罪で逮捕された事件である[1]

日本映画界の表現自主統制機関である『映画倫理委員会』が、初めて刑事責任を問われるという事態になり、日活ロマンポルノに多くの固定観客がいたことも併せて、当時注目された[1]

映画倫理委員会の審査員までが起訴されたことで[2]問題は日活以外にも波及し、映画界が一丸となって日活と共に裁判闘争に臨むべく1972年9月、岡田茂映倫維持委員会委員長を長とする「映倫裁判対策委員会」が結成された[2]。岡田は自社で日活同様にポルノ(東映ポルノ)を製作や外国ポルノの輸入配給を行っており、日活にとっては適任かつ心強い味方となった[2]

1978年昭和53年)6月、一審の東京地方裁判所無罪判決を下した[1]。判決では「性描写をどこまで許すかは、時代と共に変わる社会的通念による。」とした上で「映倫の審査はすでに一定の社会的評価、信頼が確立されており、映倫の審査を尊重するべき」とした。東京地方検察庁はこの判決を不服として控訴した[1]

1980年(昭和55年)7月、二審の東京高等裁判所も一審とほぼ同様の理由で判決を支持、検察側の主張を棄却し、無罪判決を言い渡した。東京高等検察庁はこの判決に対して、最高裁判所への上告を断念。無罪判決が確定判決となった[1]
エピソード

ロマンポルノ裁判は足かけ9年続いたが[1][3]、この間も日活のロマンポルノは大成功し、1975年8月7日に日活本社地階の日活ローレル日比谷店で「日活ロマンポルノ製作四周年記念謝恩パーティ」が映画関係者を集め開催された[4]。パーティでは宮下順子や、二条朱美、梢ひとみ田口久美、谷口香織らロマンポルノの女優が水着浴衣ネグリジェ姿で接待や歌謡ショーなどを行い、日活好調のムードをアピールした[4]映倫の維持委員会委員長とロマンポルノ裁判法廷対策委員長としてロマンポルノ裁判を共闘し[1][3][5]、江守清樹郎相談役に乾杯の音頭の指名を受けた岡田茂東映社長は「7月配収で邦画三社はシュンとした中、日活さんの上昇ぶりは素晴らしい。今度はホテルオークラあたりの広いところでパーティを開催しましょう」などと一席ぶって拍手の渦となった[4]。1978年暮れには、ロマンポルノの成功や一般映画『嗚呼!!花の応援団』の大ヒットにより、念願の撮影所も買い戻し、日活社内は活気がみなぎった。マスコミや興行者など映画関係者を日活撮影所に招き「日活撮影所返還記念パーティ」という異例のパーティを開催した[6]。来賓祝辞を述べた岡田茂映連会長は「思えばこの撮影所を売り払った堀さんは、偉大な人間だったが、売ったものを返せという日活組合員も大したものだ」と持ち上げた[6]。無罪判決を勝ち取った1980年9月6日には岡田の音頭取りで「ポルノ裁判・無罪判決を祝う会」が日本プレスセンターで開催されている[3]
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g h i 映倫50年の歩み 2006, pp. 124?133.


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