日泰関係(にったいかんけい、タイ語: ???????????????????-???、英語: Japan?Thailand relations)では、日本とタイの関係について述べる。 2018年 日本 タイ王国 ? 1388年、将軍足利義満のときに、暹羅船が日本に1年間滞在したという記録がある[1]。また、14世紀にタイ中部で興ったアユタヤ朝は次第に勢力を伸張させ、1362年にアンコール朝を吸収、1438年にはタイ北部のスコータイ王朝を滅ぼしタイを統一した。このころから既に日本人の一部はタイに入植しており、アユタヤには日本人集落も形作られるようになった。1477年には琉球王尚真がタイと交易を開いた記録が残っている[2]。 タイでの日本人の活動が活発化したのは、ビルマからの攻撃に悩まされていたアユタヤ王ナレースワンが日本人傭兵を大量に採用してからである。傭兵の数は600人に達し、彼らは首都郊外のアユタヤ日本人町に定住するようになった。1592年から朱印船貿易が行われるようになると町は活況を呈し、ソンタムがアユタヤ王につくと日泰間の友好関係も促進された。 日本はタイ製の火器・銃器などを輸入し、馬などを輸出した。また、豊臣氏、徳川氏が天下をとることによって合戦が起こらなくなった日本では、それまで戦に参加することで日々の糧を得ていた層が、大量の浪人となっていた。彼らは海外に活躍の場を求め、日本を出国していった。欧州各国の東インド会社や、東南アジア諸国は、戦闘経験の豊富な日本人を傭兵として雇うようになり、各地に日本人町が作られた。タイもまた、例外ではなく多くの日本人が移り住んだ。 1621年には城井久右衛門 1887年、外相のテーワウォン
目次
1 両国の比較
2 歴史
2.1 前史
2.2 日本人町の形成
2.3 開国以後
2.4 第一次世界大戦以後
2.5 第二次世界大戦
2.6 日本降伏後の日タイ関係
2.7 戦後
3 年表
4 外交使節
4.1 在タイ日本大使・公使
4.2 在日タイ大使
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
両国の比較
人口126,440,000人68,863,514人
面積377,873 km2 (145,883 sq mi)513,120 km2 (198,120 sq mi)
人口密度337.6人/km2 (874.4/sq mi)132.1人/km2 (342.1/sq mi)
首都東京バンコク
最大都市東京 ? 人口 13,370,198人 (都市圏人口は37,126,000人)バンコク ? 人口 5,676,648人 (都市圏人口は10,624,700人)
政体単一 議院内閣制 立憲君主制国家単一 議院内閣制 立憲君主制国家 軍事政権
公用語指定なし (事実上、日本語を用いる)タイ語
GDP (名目)4,971,929米ドル (国民一人当たり44,227米ドル)1,323,209米ドル (国民一人当たり19,476米ドル)
軍事費473億米ドル (2018年度)71億米ドル (2019年度)
歴史
前史
日本人町の形成 アユタヤ王国の日本人兵士
開国以後