日比谷映画
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日比谷映画
Hibiyaeiga
日比谷映画があった東宝本社ビル
(2005年3月撮影)
情報
正式名称日比谷映画
旧名称千代田劇場
完成1957年
開館1957年4月14日
開館公演『続・サザエさん』(青柳信雄監督)
『「動物園物語」より 象』(山本嘉次郎監督)
閉館2005年4月8日
最終公演『オペラ座の怪人
ジョエル・シュマッカー監督)
収容人員648人
設備ドルビーデジタルサラウンドEX、DTS
用途映画上映
運営東宝株式会社
所在地100-8415
東京都千代田区有楽町1-2-1
東宝会館(東宝本社ビル)内
最寄駅東京メトロ日比谷駅(A5出口)から徒歩約4分
JR有楽町駅(日比谷口)から徒歩約5分
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日比谷映画劇場
Hibiya Theater
戦前の日比谷映画劇場
情報
通称日比谷映画、日比谷映劇
正式名称日比谷映画劇場
完成1934年
開館1934年2月1日
開館公演南の哀愁/ウィンナ・ワルツ
閉館1984年11月11日
最終公演風林火山
客席数1,375
設備ドルビーステレオ
用途映画上映
運営東宝株式会社
所在地100
東京都千代田区有楽町1-2-2
最寄駅営団地下鉄日比谷駅(A5出口)から徒歩約3分
国鉄有楽町駅(日比谷口)から徒歩約4分
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日比谷映画(ひびやえいが)は、東京都千代田区東宝会館内で東宝が所有していた映画館

1934年昭和9年)2月1日に「日比谷映画劇場」として開館。場所は現在のTOHOシネマズシャンテ、合歓の広場、そして東宝日比谷ビル(通称 日比谷シャンテ)の一部敷地内であった。

日比谷映画劇場の閉館後、1957年(昭和32年)4月に開館された東宝会館内の邦画専門館「千代田劇場」を改称し1984年(昭和59年)10月に「日比谷映画」として開館。2005年平成17年)4月8日に閉館し、現在は建て替えを行いシアタークリエとして営業。
歴史

1933年7月5日 - 地鎮祭

1934年1月24日 -
東京宝塚劇場本社が入居。

1934年2月1日 - 現在の東宝日比谷ビル敷地内に「日比谷映画劇場」開館[1][2]

1934年2月1日 - 東宝ニュースを朝日新聞社と提携して製作、定期的上映、日本のニュース映画の定期上映は最初の試みとして注目をあびる

1935年3月14日 - 東京宝塚劇場本社を日本劇場4階に移転。

1936年3月4日 - ワーナー「真夏の夜の夢」特別公開、日本最初のロードショー。

1957年4月14日 - 東宝会館(東宝本社ビル)が完成し「千代田劇場」「みゆき座」開館[1]

1962年11月26日 - 日比谷映画劇場で“草加次郎事件”発生

1977年7月 - 日比谷映画劇場をメインに上映予定だった『ブラック・サンデー』が上映中止となる

1984年11月11日 - 「日比谷映画劇場」が閉館。この日に合わせ『生まれて半世紀! さよならフェスティバル』が行われ『風林火山』が最終上映作となった。これにともない同年10月27日より「千代田劇場」が「日比谷映画」に改称[1]

2005年3月31日 - 東宝会館の老朽化による建て替えのため「みゆき座」閉館[1]

2005年4月1日 - 東京宝塚ビル地下2階の「日比谷スカラ座2」が「みゆき座(後のTOHOシネマズみゆき座→TOHOシネマズ日比谷スクリーン13)」へ改称[1][3]

2005年4月8日 - 東宝会館の老朽化による建て替えのため「日比谷映画」閉館[1]。71年間続いた日比谷映画の名称が消滅する。

2007年10月 - 東宝会館跡地に東宝保有の劇場「シアタークリエ」ビル完成、同ビル内に映画館はない。

データ

施設名所在地現況観客定員数
日比谷映画劇場東京都千代田区有楽町1丁目2-2
東宝日比谷ビル
(日比谷シャンテ)1,740席(1934年[1]

1,375席(1984年)
千代田劇場

日比谷映画東京都千代田区有楽町1丁目2-1シアタークリエ
レム日比谷720席(1957年[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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