この項目では、川崎市中原区にある神社について説明しています。川崎市川崎区にある神社については「日枝大神社」をご覧ください。
日枝神社
鳥居と拝殿
所在地神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1-1455
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度34分44.5秒 東経139度40分4.2秒 / 北緯35.579028度 東経139.667833度 / 35.579028; 139.667833
日枝神社(ひえじんじゃ)は、神奈川県川崎市中原区にある神社。 祭神は以下のとおり[1]。 809年(大同4年)に創建された。桓武天皇の皇子が近江国坂本の日吉大社から分霊を勧請したといわれている[2]。所在地の「上丸子山王町」という地名は当社に由来している[3]。その後、1178年(治承2年)に平重盛によって再建された[2]。当社は中世以来、社僧(神社の管理業務を行う僧侶)ではなく、専任の神職が在籍していた神社である。川崎市内では、他に川崎区の稲毛神社と宮前区の白幡八幡大神の2社の例があるのみであった[4]。戦国時代には小田原北条氏や豊臣秀吉から手厚く保護を受けていたことが明らかになっている[5]。それを裏付けるものとして、北条氏の虎の印判状や、豊臣秀吉が近江日吉大社境内に架した大神橋の橋脚の一部といった奉納品がある[4]。江戸時代には徳川幕府第3代将軍の徳川家光の20石の社領が与えられている[6]。
祭神
大己貴神(おおなむちのかみ)
家都御子神(けつみこのかみ)
建御名方神(たけみなかたのかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
菅原道真(すがわらみちざね)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
歴史
年表
809年(大同4年)6月14日 近江国(滋賀県)大津の日吉大社から分霊を勧請し、丸子山王権現として創建[5]。桓武天皇の御子、貞恒親王の次男である恵恒僧都(山本平左衛尉恒重)が初代宮司となる。
1178年(治承2年)平重盛が社殿を再建し、現在も社宝として伝わる小太刀を奉納[6]。
1642年(寛永19年)8月17日 徳川家光より20石の社領が与えられる[6]。
1869年(明治2年) 山王権現を日枝神社と改称[7]。
1918年(大正7年) 村内八幡社・天神社・第六天社・野社・神明社・諏訪社・杉山社を合祀[7]。
1923年(大正12年)9月1日 関東大震災の際、幣殿・拝殿が倒壊[7]。