山王日枝神社
神門と拝殿
所在地東京都千代田区永田町2丁目10番5号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分29秒 東経139度44分22.5秒 / 北緯35.67472度 東経139.739583度 / 35.67472; 139.739583
日枝神社(ひえじんじゃ)は、東京都千代田区永田町二丁目にある神社。江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。
大山咋神(おおやまくいのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。
所在地は正確には千代田区永田町であり、社殿は東向き、表参道も国会議事堂方面の東方へと伸びているが、港区赤坂地区の北東に隣接し、そちらの南西方面(外堀通り沿い)にも大きな鳥居と裏参道が2つ(南方はエスカレーター付きの山王橋)設けられていることや、近くに赤坂氷川神社が鎮座していることもあって、赤坂(の)日枝神社と通称されることが多い。 創建は、鎌倉時代に江戸氏が山王宮を祀ったことを起源とするが、直接的には文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したことに始まる[1]。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした[2]。 慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。社地は家康により5石、元和3年(1617年)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635年)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった[3]。 明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659年)、将軍家綱が赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に当てる形で、現在地に遷座した。
歴史