日本鉄道
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この項目では、かつて存在した日本の鉄道事業者の日本鉄道株式会社について説明しています。日本の鉄道全般については「日本の鉄道」をご覧ください。

日本鉄道事業」あるいは「大日本軌道」とは異なります。

日本鉄道株式会社
1885年(明治18年)当時の上野駅
種類株式会社
本社所在地 日本
東京府東京市下谷区山下町[1]
設立1881年(明治14年)11月[1]
業種鉄軌道業
代表者社長 曾我祐準[1]
資本金66,000,000円[1]
特記事項:上記データは1903年(明治36年)現在[1]
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日本鉄道株式会社(にっぽんてつどう)は、かつて存在した日本鉄道事業者である。1881年(明治14年)に設立された日本初の民営鉄道会社(私鉄)であり、現在の東北本線高崎線常磐線など、東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線の多くを建設・運営していた。1906年(明治39年)に国有化された。
概要

1872年5月、高島嘉右衛門東京から青森に至り北海道開拓を支える鉄道の建設を政府に建言、却下されるも、高島は政府要人岩倉具視を説き、鍋島直大蜂須賀茂韶をして明治天皇および当時の政府に『華族士族が家財をもって会社を建て、東京と青森あるいは東京と越後新潟に鉄路を敷き蒸気機関車を走らせることを補す』ことを建言させた。こうした経緯を経た1881年8月1日、岩倉具視をはじめとする華族などが参加して私立鉄道会社「日本鉄道」の創立が決定し、同年11月11日、設立特許条約書が下付され、初代社長に吉井友実を選出して会社が設立された[2][3]

もともと政府では井上勝をはじめとして、鉄道は国が敷設して国が保有すべきであるという意見が強かったが、西南戦争の出費などで財政が窮乏してしまったこともあり、民間資本を取り入れて鉄道を敷設することになった。

政府の事業として計画された中山道沿いの鉄道区間のうち、東京 - 高崎間の測量が開始されたが、前述のような理由による財政難から工事は着工されなかった。これに対して、民間資金による鉄道の早期開業を求める動きがあり、日本鉄道の設立に結実した。

設立当初は、以下4路線の建設を目的にしており、そのため社名も「いずれ日本全国の鉄道をこの会社に敷設させる」目標から付けられたが、実際に建設されたのは1.にあたる東日本の路線のみであった[4]
東京より上州高崎に達し此中間より陸奥青森まで

高崎より中山道を通し越前敦賀の線(長浜 - 敦賀)に接続し即ち東西京(東京 - 京都)の連絡をなす

中山道線路中より北越新潟を経て羽州に達す

九州豊前大里(門司)より小倉を経て肥前長崎に達しこの中央より肥後に及ぼす
第一区線を工事した当時の役員と作業員(1883年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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