日本選手権競輪
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日本選手権競輪概要
格付けGI
優勝賞金8900万円(副賞を含む)
愛称競輪ダービー
概定番組6日間トーナメント
開催地持ち回り
開催時期4-5月(2016年度から)
歴史
初回開催1949年
開催回数78回(2024年)
初代優勝者横田隆雄(甲、乙規格とも)
最多優勝者吉岡稔真村上義弘(各4回)
直近優勝者平原康多(2024年)
次回開催予定
次回開催2025年4月29日-5月4日
次回開催地名古屋競輪場
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日本選手権競輪(にほんせんしゅけんけいりん/にっぽんせんしゅけんけいりん)は、毎年4月30日あるいは5月上旬から中旬ごろの6日間に渡って開かれる、競輪のGI競走である。
概要

競輪においてもグレード制が導入されたことにより、KEIRINグランプリは企画レースとして別格・最上位(格付けはGP)とされたため、本競走はそれに次ぐGIレースの一つとされた。

ただ、GPの格はグランプリのみであり、同列とされたGI競走の中でも、かつては前もってトライアルレースが行われておりそれを勝ち抜かなければ本大会の出場権を得られなかった(現在は廃止)ことや、歴史、正賞として授与される内閣総理大臣杯及びその他の各賞・名誉及び賞金額において、競輪界で最高の格式を誇るレース(事実上春の競輪実力日本一決定戦)である。そのため、競馬で最高の競走であるダービーになぞらえ『競輪ダービー』の通称で古くから呼ばれ、親しまれている。優勝者は『ダービー王』の称号で呼ばれる[1]

優勝賞金は8900万円[2](副賞込み、第78回)であり、これは6つあるGIレースの中で最高額となっている[注 1]。第59回(2006年)より6600万円(副賞込み[注 2])であったが、第65回2012年)では東日本大震災を受けての被災地支援競輪において収益拠出額を増加させる方針から6400万円(副賞込み)へと減額された。翌年の第66回2013年)からは更に減額され6000万円(副賞込み)となっていたが、第69回2016年3月)で6500万円(副賞込み)へと久々に増額され、第73回2019年)まで続いた。なお、中止となった2020年の第74回[3]では5年ぶりに増額され5910万円(本賞金)となり、それ以降は毎年増額されている。

いくつかの6日制GI開催は、一時期4 - 5日間開催に短縮されていたが、この日本選手権競輪(以下ダービー)だけは唯一6日間で開催され続けている[注 3]。開催時期は、2008年までは3月の中旬から下旬にかけて開催されていたが、2009年より2012年までは2 - 3週間繰り上げられ3月上旬の開催であった。しかし2013年からは読売新聞社杯全日本選抜競輪が2月の開催となったこともあり、再び3月中旬から下旬の日程に戻った。その後、売り上げ増を見込んでゴールデンウィーク期間中にGIレースを開催する方針を立てたことから、この日本選手権競輪を2016年度以降は4月末 - 5月開催と変更したため(当該年度の最初に開催されるGIとなる)、2016年に関しては例外的に3月上旬から中旬4月末から5月上旬とで計2回開催が行われた(このうち3月開催は2015年度開催の扱い)。現在はゴールデンウィーク後半の6日間(決勝戦は日曜ないし土曜日以外の祝日のどちらか)にかけての開催となっている。
賞金

以下は、第78回大会(2024年)の決勝戦における各着順の賞金額。( )内は副賞(1?3着に授与)を含んだ金額[4]

1着2着3着4着5着6着7着8着9着
8,200万円(8,900万円[5][6])4,010万円(4,080万円[5])2,744万円(2,784万円[5])1,956.3万円1,547.1万円1,251,2万円1,042.0万円901.3万円844.6万円

歴史

第1回は1949年大阪住之江競輪場(現在の住之江公園)で「全国争覇競輪(ぜんこくそうはけいりん)」と題して(当初第7回までは春秋の年2回)開催された。全国争覇戦時代は女子の部や実用車・軽快車(何れも一般の自転車)を使ったレースも実施された[注 4]。この「全国争覇競輪」の名称は第16回(1963年)まで採用され、第17回(1964年)から現在の名称となった。

第21回(1968年)までは12車立て[7]でレースを開催した後楽園競輪場の名物レースとして親しまれたが、それまで後楽園の固定開催であったため、同場の休止が決定されると、開催を希望する施行者による全国各地の競輪場で持ち回りという形で開催されるようになった。ただ、現在は静岡・松戸・立川・平塚など関東・南関東の競輪場で持ち回りしていることが多い[注 5]

第27回(1974年)からは、一次予選特別選抜競走の出場選手27名を「全国から選抜された選手が実力で最高の地位を争う」といった観点から、予め選手選考委員会において選定された選手135名により、開催直前の1月?2月にかけて開催する「ダービートライアル」(3日間×3会場)で決定していた。

第29回(1976年)からは、原則として選考委員会より選定された選手によりトライアルレースを実施して全出場選手を決定する方式となった(3日間×2会場)。ただ、トライアルレースでは早い段階でポイントを稼いで後半は欠場する選手や、出場の可能性がなくなるとみるや半ば無気力に走る選手も現れたりするなどして弊害も出たため、第48回(1995年)を以って廃止された。

第49回(1996年)からは前年の平均競走得点上位選手から順次選抜する方式となり、第51回(1998年)からは、前年における特別競輪等選手選考評価点の上位選手から順次選抜する方式となった。なお、現在は選考期間中の獲得賞金額(手当は含まない)の上位選手から順次選抜する方式となっている。

第55回(2002年)では、KPK以来となる大幅な番組改革がなされたことに合わせて、敗者復活戦が第38回(1985年)以来17年ぶりに復活し、準決勝4個レース(各レース1・2着のみ勝ち上がり)と二次予選特別選抜競走(ゴールデンレーサー賞)1着選手(このときは濱口高彰)の9名により決勝戦が行われた[注 6]。だが、結局はその翌年の第56回(2003年)からは敗者復活戦は廃止かつ通常の準決勝3個レース(各レース1 - 3着のみ勝ち上がり)の9名が決勝戦に勝ち上がる方式に戻され、現在に至っている。第74回は直前に中止が決定した。静岡競輪場にて(2020年4月)。

第74回(2020年)は、当初静岡無観客にて開催予定であったが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い日本国政府より改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令された影響から、開催予定地である静岡県からの勧告に従い開催中止となった[8][3]特別競輪(GI)の中止は第15回オールスター競輪1970年1971年)以来49年ぶり6度目であり、日本選手権競輪の中止は1961年に実施予定であった第16回(後楽園)以来59年ぶりとなった[3]。なお、今回は回数はそのままカウントされており、正選手として出場契約を済ませた162名については出場したとみなし、連続出場記録も同様にカウントされることとなった[9]ほか、総賞金額3億6002万4000円[10]の30%に当たる1億800万7200円を均等割りした66万6711円が補償として162名全員に支払われた。

第75回(2021年)は前年同様の影響により無観客で[注 7][11][12]、第76回(2022年)は事前抽選による入場制限を行った上で開催された[注 8][13][14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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