日本語訳聖書
日本語訳聖書(にほんごやくせいしょ)は、キリスト教などの聖典である聖書を日本語に翻訳したものである。聖書の日本語訳は、16世紀半ばのキリスト教伝来時から各教派により行われ、近現代には聖書学者らによる個人訳なども多数公刊されている。 聖書の日本語訳は、断片的な試みも含めれば、16世紀半ばのキリスト教伝来時より行われてきた。ただし、江戸幕府による禁教以前の翻訳は、若干の断片を除いて伝わっていない。その後、19世紀半ば以降、プロテスタント宣教師によって次々と翻訳が試みられた。初期の翻訳はギュツラフ、ヘボンなどの外国人宣教師が中心であったが、最初の組織的な翻訳である委員会訳(いわゆる「明治訳」。新約1880年、旧約1887年)では日本人協力者の貢献も小さくはなかった。明治訳の新約部分は大正時代に改訳版(いわゆる大正改訳、1917年)が出され、日本語表現にも多大な影響を与えた名訳として、今なお愛好する人々がいる。ほか、太平洋戦争以前には、カトリックのいわゆるラゲ訳や日本正教会訳の新約聖書なども刊行された。 戦後になると日本聖書協会が口語訳聖書(新約1954年、旧約1955年)、ついでカトリックとプロテスタントによる共同訳聖書(新約のみ、1978年)、新共同訳聖書(1987年)を刊行した。新共同訳聖書は20世紀末から21世紀初頭の日本では最も広く用いられる聖書となった。日本聖書協会以外からも、カトリックではバルバロ訳、フランシスコ会訳などが、プロテスタントでは新改訳などがそれぞれ刊行されており、ほかにも宗派的な不偏性を謳う岩波委員会訳など、様々な観点での組織訳・個人訳などが、部分訳も含めれば数え切れないほどに刊行されている。 キリスト教は、1549年(天文18年)に日本へ伝えられた。フランシスコ・ザビエル (Francisco Xavier, SJ) の日本布教のきっかけとなったヤジロウの書簡から、ヤジロウがマタイによる福音書を(部分的にせよ要約的にせよ)翻訳した可能性はあるものの、実物は残っていない[1]。1563年(永禄6年)頃までには、イエズス会士のフアン・フェルナンデス(J.Fernandez, SJ)が、『新約聖書』のうちの四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)を翻訳していたらしいが、平戸の北部にある度島での火災で原稿が焼失してしまった[2][3]。 その後、『日本史』などの著作で知られるルイス・フロイス(Luis Frois, SJ)が、典礼用に四福音書の3分の1ほどを訳すなど作業を続け[2][4]、1613年(慶長18年)頃までにはイエズス会が京都で『新約聖書』全体を出版したらしいことも確認されている[5]。
概要
キリスト教伝来から19世紀初頭まで「キリシタン版」も参照