株式会社日本触媒
NIPPON SHOKUBAI CO., LTD.
本社(大阪市の興銀ビルに入居)
種類株式会社
市場情報東証プライム 4114
株式会社日本触媒(にっぽんしょくばい、英称:Nippon Shokubai Co., Ltd.)は、大阪府大阪市中央区高麗橋と東京都千代田区内幸町に本社を置く大手化学メーカーである。1941年創業。
概要が設立したヲサメ硫酸工業事務所が前身であり、1938年(昭和13年)に、ヲサメ硫酸工業株式會社と改称。そして、1941年(昭和16年)に現在の大阪市生野区桃谷にて、ヲサメ合成化學工業株式會社として設立された[1]。
設立当初から、まだ知名度が低かったバナジウム触媒を目指すなど、当時としては珍しい企業でもあった。
1935年(昭和10年)にヲサメ硫酸工業事務所に研究者として入社していた八谷泰造が、第二次世界大戦後に2代目社長となり、1949年(昭和24年)に日本触媒化学工業株式会社に社名変更[1]。この先の石油化学工業の飛躍的発展を見越して、当時富士製鐵(後の新日本製鐵、現:日本製鉄)の社長だった永野重雄からの出資に成功すると、酸化エチレン、アクリル樹脂、ポリエステルなどの開発事業で成功をおさめるとともに、この酸化エチレンやアクリル樹脂などの事業が、現在に至るまで同社の事業の根幹を支え続けている。また高吸水性樹脂の分野でも、世界トップシェアを持っている。
TechnoAmenityをグループの企業理念として掲げている。テクノロジー(技術)でアメニティー(快適さ)を人々に提供していこうという意味である。
大輪会の会員企業である[2]。 主な取扱商品はアクリル酸と高吸水性樹脂、酸化エチレン及びその誘導体。
事業所
本社:大阪、東京
研究所:吹田、姫路
製造所・工場:川崎、姫路
海外事業所:アメリカ、シンガポール、インドネシア、ベルギー、中華人民共和国、大韓民国
沿革
1926年 - ヲサメ硫酸工業事務所(事実上の創業社)設立[1]。
1941年 - ヲサメ合成化学工業株式会社設立。
1943年 - 吹田工場開設。
1949年 - 日本触媒化学工業株式会社に商号変更。
1950年 - 東京出張所(現:東京本社)開設。
1952年 - 大阪証券取引所市場第1部に上場。
1956年 - 尼崎工場開設。東京証券取引所市場第1部に上場。
1959年 - 川崎工場(現:川崎製造所千鳥工場)開設。
1960年 - 姫路工場(現:姫路製造所)開設。
1961年 - 本社を大阪府大阪市東区(現:中央区)高麗橋へ移転。
1967年 - 川崎第二工場(現:川崎製造所浮島工場)開設。
1968年 - 米Ashland Oil Inc.との合弁会社として、日触アロー化学株式会社設立。
1969年 - 米Schenectady Chemicals社との合弁会社として、日触スケネクタディ化学株式会社設立。
1970年 - プロピレン酸化法によるアクリル酸、アクリル酸エステルを日本で初めて工業化。
1974年 - 自動車触媒製造開始。
1985年 - 高吸水性樹脂本格製造開始。
1991年 - 株式会社日本触媒に商号変更。
1997年 - ダイオキシン類分解触媒製造開始。
2003年 - 三井武田ケミカル株式会社との合弁会社として、ジャパンコンポジット株式会社設立。
2004年 - 環境工学研究所を触媒研究所に編入。住友化学工業株式会社のシンガポールアクリル酸事業を譲受。
2008年 - 日本乳化剤株式会社およびSINO-JAPAN CHEMICAL CO., LTD.(中日合成化学股分有限公司)の株式取得による子会社化。
2012年 - 台北事務所閉鎖。
2013年 - NIPPON SHOKUBAI (ASIA) PTE.LTD.が、SINGAPORE GLACIAL ACRYLIC PTE. LTD.を吸収合併。
2015年 - 吹田工場閉鎖。同地区は研究開発拠点へ変更。韓国事務所を現地法人化し、「Nippon Shokubai Korea Co., Ltd.」設立。
2017年 - 研究本部を廃止し、事業創出本部(研究センター、解析技術センター)、事業部研究部(EO研究部、アクリル研究部、吸水性樹脂研究部、機能性化学品研究部、新エネルギー・触媒研究部)を新設。Sirrus, Inc.の子会社化。筑波地区研究所を閉鎖。
2019年 - 「レナセラピューティクス株式会社」を子会社化。
2020年10月21日 - 2021年4月を予定としていた三洋化成工業株式会社との経営統合[3]を新型コロナウイルスの影響等による事業環境の不透明さから、中止とすることを発表[4]。
製品
世界のアクリル酸製造能力の55%のシェアを持つが、自社のアクリル酸の世界シェアは15%で世界3位である。