日本製鉄東日本製鉄所(にっぽんせいてつひがしにっぽんせいてつしょ[1])は、日本製鉄の製鉄所である。2020年4月1日に、鹿島製鉄所、君津製鉄所、直江津製造所及び釜石製鉄所を統合して発足した[1]。2022年4月に釜石地区を分離し、室蘭製鉄所と統合して北日本製鉄所とした[2]。
鹿島地区、君津地区及び直江津地区に分かれており、それぞれの所在地は次のとおりである。 1968年に住友金属工業鹿島製鉄所として高炉と熱延工場の操業を開始。鹿島港に面した鹿島臨海工業地帯に位置し、敷地面積は約1000万m2(東京ドーム220個分)で、敷地の中には港があり、大型船が出入りしている。従業員数は2,985 人となっている(2019年3月31日時点)[1]。1983年に和歌山製鉄所から大量配転され、粗鋼年産800万t体制の主力製鉄所となったが、新日鉄との合併後は同じく関東に拠点を置く旧新日鉄の君津製鐵所との兼ね合いや、また東日本大震災の津波の影響による施設破損などもあり、2019年では粗鋼生産716万トンとなっている。 2021年(令和3年)2月、東日本製鉄所鹿島地区の高炉2基のうち1基を数年内に閉鎖する計画が報じられた[3]。 製鉄所構内には日鉄ステンレス鹿島製造所、シーケム鹿島工場、日鉄鋼管鹿島事業所、エア・ウォーター鹿島工場、中央電気工業鹿島工場といった日本製鉄グループ企業や関連企業の製造拠点が立地している。 スポーツを通じた地域交流も盛んであり、サッカー部(住友金属工業蹴球団)は現在の鹿島アントラーズへと発展した。日本サッカーリーグ時代から、この工場敷地内にある「住友金属鹿島製鉄所総合グラウンド陸上競技場(現・NIPPON STEELグラウンド)」[4] を試合会場に使用し、Jリーグ発足後はトップチームの練習、並びに下部組織(ユース)の練習・試合会場などに利用されている。 敷地内に日本製鉄鹿島火力発電所(出力50万7千kW)を併設し、IPP事業も行っている。東日本大震災直後から稼働を停止し、設備の一部も損傷したが、震災から15日後の3月26日に火力発電所を復旧させ、発電した47万5千キロワット(=475Mw:茨城県全世帯の電力需要を賄う規模)すべてを東京電力に供給した。
鹿島地区 〒314-0014 茨城県鹿嶋市光3番地区
君津地区 〒299-1141 千葉県君津市君津1番地
直江津地区 〒942-8510 新潟県上越市港町2丁目12番1号
鹿島地区
生産品
薄板 - 自動車・家電用など
厚板 - 船舶・橋梁用など
建築材料 - 土木分野用鋼管杭・鋼矢板、建築用形鋼など
沿革
1968年(昭和43年)12月1日‐住友金属工業鹿島製鉄所として操業開始。
1969年(昭和44年) - ホットストリップミル設置。
1971年(昭和46年)1月 - 第一高炉火入れ。
1973年(昭和48年)3月 - 第二高炉火入れ。
1974年(昭和49年) - 大径溶接鋼管設備設置。
1976年(昭和51年)9月 - 第三高炉火入れ。
1983年(昭和58年)3月 - 和歌山製鉄所から大量配転。
1994年(平成6年)6月 - 鹿島ステンレス鋼板製造所を統合。
2003年(平成15年)10月 - ステンレス鋼部門を新日鐵住金ステンレス鹿島製造所として分離。
2004年(平成16年)9月 - 第一高炉を建て替え、新第一高炉火入れ。
2006年(平成18年)12月 - 第3溶融亜鉛めっき鋼板設備稼働。
2007年(平成19年)6月 - 住友金属鹿島火力発電所の操業開始。
2012年(平成24年)10月 - 新日鐵住金鹿島製鐵所に改称。
2019年(平成31年)4月 - 日本製鉄鹿島製鉄所に改称。
2020年(令和2年)4月 - 日本製鉄の組織統合により、日本製鉄東日本製鉄所鹿島地区となった。
火力発電所日本製鉄鹿島火力発電所詳細は「日本製鉄鹿島火力発電所」を参照
アクセス
高速バス
東京駅より「かしま号」で「鹿島製鉄所」下車
羽田空港より鹿島神宮駅行きで「鹿島製鉄所」下車
東京テレポート駅・東京ディズニーリゾート・海浜幕張駅より鹿島神宮駅行きで「鹿島製鉄所」下車
鉄道
JR鹿島線鹿島神宮駅よりタクシーで15分
自動車
東関東自動車道潮来インターチェンジより20分
関連項目
日本製鉄鹿島火力発電所
日本製鉄鹿島硬式野球部
鹿島アントラーズ
鹿島臨海工業地帯
鹿島共同火力
鈴木昌
柳川欽也(元副所長)
君津地区
概要
君津地区君津製鐵所君津地区周辺の空中写真。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
木更津港に面する千葉県君津市君津1番地に君津地区はあり、君津地区の敷地面積は約1173万m2(東京ドーム約220個分)で、工場の大半は君津市内にあるが、一部が隣の木更津市に及んでいる。
高炉を2基有し、2018年度の年間粗鋼生産量は802万トンである。 1935年(昭和10年)に日本特殊鋼管東京工場として創設された[5]。主にシームレス鋼管を製造する。製造所は新河岸川に面し、隣接して日本金属板橋工場がある。製造品の材料は、君津地区から艀で運搬し、専用の船着場と荷役設備を持っていた。2020年(令和2年)5月に小径シームレス鋼管工場を休止し、日本製鉄関西製鉄所和歌山地区海南地区生産を集約[6]して閉鎖された。東京都板橋区舟渡の土地は、2021年6月30日に日鉄興和不動産に売却され、日本製鉄はこれにより750億円程度を特別利益に計上する見込みである[7]。
君津地区(東京)(閉鎖)