日本美術刀剣保存協会
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公益財団法人日本美術刀剣保存協会
The Society for Preservation of Japanese Art Swords

協会本部事務所が所在する新刀剣博物館(墨田区)
団体種類公益財団法人
設立2012年4月1日
所在地東京都墨田区横網1-12-9
法人番号6011005003782
起源財団法人日本美術刀剣保存協会(1948年2月24日-2012年3月31日
主要人物酒井忠久(代表理事会長)
主眼日本国の文化財の保護と文化の普及振興に寄与すること
活動内容刀剣類の保存及び公開に関する事業、無形文化財である日本刀の鍛刀技術、研磨技術、刀装制作技術等の保存向上に関する事業、並びに日本刀の制作に必要な材料の確保を図るための事業
基本財産16億2,041万4,627円(2016年3月31日現在)
従業員数29名(2016年3月31日現在)
会員数4,512名(2016年3月31日現在)
ウェブサイトhttp://www.touken.or.jp/
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公益財団法人日本美術刀剣保存協会(にっぽんびじゅつとうけんほぞんきょうかい、英語名:The Society for Preservation of Japanese Art Swords)は、東京都墨田区に本部を置く日本公益財団法人である。目次

1 概要

2 新作名刀展

3 等級審査の問題点

4 未登録刀剣問題

5 歴代会長

6 脚注

7 外部リンク

概要 日本美術刀剣保存協会が発行する鑑定書の一例

日本刀には美術品、工芸品としての価値があるが、明治維新にともなう廃刀令以降、海外への散逸が懸念されるようになった。さらに、太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部は日本刀没収を実施したため、これを恐れる持ち主の中には日本刀を破棄するものが続出する事態となった。このような事態に危機感を持った有志により、1948年2月24日、日本刀を後世に伝える目的で財団が設立された。当初は東京都台東区東京国立博物館に事務局を置いていたが、後に東京都渋谷区代々木に移転した。昭和40年代には、会員から募った資金を元に、保護した刀剣類を公開するための施設「刀剣博物館」を設置した。さらに、昭和50年代に入ると、年々手に入りにくくなる作刀材料確保のため、島根県奥出雲町に「日刀保たたら事業所」を操業し、日本刀の原料となる「和鋼玉鋼」を生産している。

近年は後述の不祥事が相次いだことから、一部が分裂して日本刀文化振興協会を設立するに至った。
新作名刀展

新作名刀展は、同協会が主催するその年度に新作された日本刀の展覧会であり、ここで認められることが現代の刀工にとっての大きな目標である[1]

二つの作刀部門(太刀脇差長刀の部、短刀の部)と刀身彫の部、彫金の部で腕が競われる。

特賞

高松宮記念賞

協会会長賞

薫山

寒山


優秀賞

努力賞

新人賞

正宗

表彰は以上の通りだが、特賞に当たる各賞を複数回(高松宮記念賞2回を含んで特賞8回、もしくは特賞10回)受賞した刀工は無鑑査の称号を与えられ、現代を代表する刀工と見なされる。正宗賞のみは特殊で、無監査刀工が出品したうちで特筆される作刀があった場合のみ授与される。近年では2010年に宮入法廣が短刀で、2014年に太刀で河内國平が受賞した。
等級審査の問題点

日本美術刀剣保存協会が実施している日本刀の等級審査に関連し、数々の問題点が指摘された。監督官庁の文化庁が行政指導しても財団が拒否した[2]

2001年、文化庁は財団役職員の刀剣類審査への応募を禁じ(いわゆる「窓口規制」)、財団もそれを受け入れる旨を文書で表明した。

2006年8月14日、会長の橋本龍太郎の死去にともない佐々淳行が会長に選ばれた。その後、佐々は事務局長に解職を告げ、会計課長、庶務課長に1か月の自宅待機の後解職とする旨を告げた。

2006年10月衆議院文部科学委員会にて、実際には窓口規制が行われていないことを衆議院議員保坂展人社会民主党)が指摘し、文部科学大臣伊吹文明自由民主党)が「インサイダーなどの疑い」を払拭するため指導の徹底を図ると答弁した[3]

2007年3月1日、衆議院予算委員会第四分科会にて、財団側が文化庁の窓口規制を再度拒否していることが衆議院議員佐々木憲昭日本共産党)の質問主意書により発覚した[4]。佐々木が「(重要刀剣指定を発表する機関紙に)現職理事の名前が堂々と記載されている。大臣、どうお感じですか?」と問いかけ、文部科学大臣の伊吹も「私も先生と同じ気持ちだ」と同調し、内部統治への疑義や、改善命令を視野に入れると答弁した。さらに、佐々木は、理事が他人名義で審査申請している、特定業者にのみ申請期間が過ぎても申請を許可している、2業者からの申請だけで全申請の57%を占めている、といった点から「癒着」の可能性を指摘、現地での実態把握が急務と主張した。文化庁は、現職理事の窓口規制違反だけで既に27件発生しており、財団の客観性、透明性が求められており、さらに努力したいと回答した。

2007年5月9日から5月11日にかけて、文化庁は日本美術刀剣保存協会に対し刀剣審査事業に関する臨時検査を行った。この結果、平成16年4月の特別重要刀剣審査の対象378点について、非会員もしくは非会員と思われる申請が約一割の37件、役員、職員、親族等からの申請が9件あったことが確認され、文化庁次長高塩至は、「こうした検査結果を踏まえまして、今後、改善を要する事項につきまして適切に協会を指導していく考えでございます」と述べた。これに対し保坂展人は「事実に即して文化庁の指導を強めていただきたい」と述べて、等級審査問題に関する国会における論戦は終結した[5]

2008年5月20日、事務局長らの地位確認訴訟の判決が東京地裁で出され、原告の全面勝訴となる。(東京地裁 平成20.5.20 平成18(ワ)19133 地位確認等請求事件)

2009年3月18日、東京地裁は、会長の佐々淳行の発言などによる名誉棄損を認め、元事務局長ら3人に対しての計125万円の損害賠償を命じる判決を下した。2006年、協会が文化庁から等級審査の改善報告を求められた後、佐々は、職員への訓示や協会関係者への配布文書で、元事務局長らが勝手に協会幹部名義の報告書を文化庁に提出したり、自分らの給与を不正に増額したりしたと主張していた。 判決は、「文化庁に提出した文書は協会幹部も了解しており、給与の不正増額も認められない」とした。

2009年5月19日、事務局長らの地位確認訴訟の控訴審判決が東京高裁で出され、再び、原告が勝訴した。(東京高裁 平成21.5.19 平成20(ネ)3144 地位確認等請求控訴事件)

2010年6月24日、佐々淳行が会長を辞任し、村山弘義が会長となる。

未登録刀剣問題

2009年に所有者不明の刀剣400本余りが発見され、2011年に協会と当時の理事・常務理事がこれらのうち36本を未登録の状態で保管していたとして銃刀法違反で書類送検された[6]。2012年、不起訴処分となった。
歴代会長

会長代氏名主な役職
1
細川護立侯爵貴族院議員
2本間順治文部省文化財保護委員会事務局美術工芸品課課長、財団法人本間美術館理事長
3富士川金二国立博物館課長、文部省文化財保護委員会部長、大妻女子大学教授、刀剣研究家蒐集家


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