日本神話
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日本神話(にほんしんわ)とは、日本に伝わる神話のことである。
概要「記紀」、「日本の神話学」、「神道」、および「#神話の構成」も参照

日本神話と呼ばれる伝承はほとんどが、『古事記』、『日本書紀』、および各『風土記』の記述による[1][2]。そのため、高天原の神々が中心となっているが[2]、出典となる文献は限られる。

『古事記』『日本書紀』の原書とされ、日本最古の古文書とされる『ホツマツタヱ』には、記紀において初出の神とされる天之御中主国之常立をも創造し、遣わした存在として、天御祖神という創造神が登場し、その天地創造の様子が綴られている[3][4]

また、地方の神社や地方誌の中にも上記の文献群には見られない伝承を残している。

本来、日本各地には出雲を始めとして何らかの信仰伝承があったと思われ、ヤマト王権の支配が広がるにつれていずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」という形に変えられて「高天原神話」に統合されたと考えられている[5]。また、後世まで中央権力に支配されなかったアイヌ琉球には独自色の強い神話が存在する。日本神話の神々は現代に至るまで信仰の対象とされ続けている。

本記事においては主に『古事記』『日本書紀』で語られる神話(記紀神話)について解説する。
神話の構成

この記事では日本神話のあらすじを述べるにとどめ、各神話の詳細は別記事に譲る。

記紀などにおいて神代(神の時代、神話時代)として記された神話は、以下の通りである。神代は、神武天皇以前の時代を指す。「古事記」および「日本書紀」を参照
天地開闢

天地開闢ののち、高天原別天津神神世七代の神々が誕生。これらの神々の最後に生まれてきたのがイザナギ(表記は伊邪那岐、ほか)・イザナミ(表記は伊邪那美、ほか)の二神である。
国生みと神生み

小林永濯『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』/イザナギイザナミの二神が天之瓊矛(天沼矛)で地上の渾沌を[注 1]掻き回して大八島(日本の島々)を生み出そうとしている。作品については「国産み」項で詳説する。

イザナギイザナミの二神は自らが造ったオノゴロ島に降り、結婚して最初の子・ヒルコが生まれた。ところが、方法に間違いがあったことから失敗し、不具の子であった。この子を海に流した後、次の子・アワシマが生まれたが、またも正しく生まれてこなかったため、二神は別天津神に教えを乞い、そうして改めて正しく交わり、生み出したのが淡道之穂之狭別島であった。次に淡道を含む「大八島」と呼ばれる島々(日本列島)を次々と生み出していった。これらを「国生み/国産み」という。その後はさまざまな神々を生み出してゆくことになるが、これらを「神生み/神産み」という。しかしイザナミは火神カグツチを産み出す際に大火傷を負ってしまい、この世を去ってしまう。残されたイザナギは亡きイザナミに会いたい気持ちを募らせて黄泉国へ赴くも、彼女が黄泉の住者になってしまったことを思い知って逃げ帰る羽目になり、永遠に離別することとなった。その後、イザナギは黄泉国で被った穢れ祓うためにをした。この時にもさまざまな神々が生み出されたが、その最後に「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と呼ばれる3柱、すなわち、アマテラス(天照)・ツクヨミ(月読)・スサノオ(須佐之男)を生んだ[7][8]
アマテラスとスサノオの誓約・天岩戸

.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}天岩戸神社東本宮/宮崎県高千穂町に所在。「天安河原宮」と呼ばれるこの地で、八百万の神々の会議が開かれたとされる。

スサノオ(須佐之男)は根国へ行く前に高天原へと向かう。アマテラス(天照)はスサノオが高天原を奪いにきたのかと勘違いし、弓矢を携えてスサノオを迎えた。スサノオはアマテラスの疑いを解くためにうけい(誓約)で身の潔白を証明した(アマテラスとスサノオの誓約)。この時、のちに皇室出雲国造の始祖となる五柱の男神と宗像三女神が生まれた。

しかしスサノオが高天原で数々の乱暴を働いたため、これを怖れ憂えたアマテラスは天岩戸に隠れてしまい、地上は闇に覆われてしまった。神々は計略も用いてアマテラスを天石戸から誘い出し、光が地上に取り戻された。スサノオは悪行の責めを負って下界に追放された。
出雲神話詳細は「ヤマタノオロチ」、「因幡の白兎」、「大国主の神話」、および「大国主の国づくり」を参照

スサノオ(須佐之男)は出雲国に降り、八俣遠呂智を退治し、櫛名田比売と結婚する。スサノオの子孫である大穴牟遅神(大国主)は、八上比売と結ばれるが、それを妬んだ八十神に迫害される。難を逃れ、根之堅洲国でスサノオの試練を乗り越えると、スサノオの娘である須勢理毘売命を娶って大国主神となる。その後、沼河比売多紀理毘売命と結婚し、多くの御子神を生み、少名毘古那神三輪の神葦原中国の国づくりを始めた。

これらの説話は『出雲国風土記』には収録されていない。ただし、神名は共通するものが登場する。また、全国各地の風土記や神社、地方誌には、独自色の濃い国作り神話が伝わっている。
葦原中津国平定(国譲り)タケミカヅチが天降ったとされる稲佐の浜詳細は「葦原中津国平定」を参照


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