日本物産
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日本物産株式会社
Nihon Bussan Co., Ltd.
種類株式会社
略称Nichibutsu、ニチブツ、日物
本社所在地 日本
530-0041
大阪府大阪市北区天神橋1丁目12番9号
日物ビル
設立1970年10月
法人番号3120001072973
事業内容家庭用テレビゲームソフトの開発
電子機器の開発・製造・販売
代表者鳥井末治(創業者・代表取締役社長)
資本金5,000万円
主要子会社Nichibutsu U.S.A. Co., Ltd.
Nichibutsu U.K. Ltd.
Nichibutsu Europe GmbH
東京日本物産株式会社
(旧:株式会社日物レジャーシステム)
株式会社ニチブツ札幌
株式会社ニチブツ仙台
株式会社ニチブツ広島
株式会社ニチブツ九州
外部リンクアーカイブ 2014年3月15日 - ウェイバックマシン 閉鎖済み
特記事項:2009年、事業停止。
2014年3月14日株式会社ハムスターに版権を譲渡。
2015年12月15日、解散。
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SPHINX
ジャンルアダルトゲーム
企業名日本物産株式会社
審査なし
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日本物産株式会社(にほんぶっさん)は、かつて大阪市北区天神橋に本社を置いていたゲームソフト制作会社である。過去にはヨット模型の発売も行っていた[1][2]

通称または略称、一般ゲームブランドは「Nichibutsu」(ニチブツ)。アダルトゲームブランドは「SPHINX」(スフィンクス)[3][4]。主に対戦用麻雀などの企画開発をおこない、ミミズクのマークで知られる[5]

企業キャッチコピーは「Frontier Spirit of Amusement」または「Frontier Spirit in the Amusement」[6]。現在、同社のゲームタイトルはハムスターが権利を受け継いでいる[7]

なお、現在では同名で異業種の他社が多数存在するが、どれも日本物産とは無関係である。
歴史

1970年、鳥井末治(1947年 - )が23歳で創業、1972年に法人化。ジュークボックスのレンタル業を経て1975年アーケードゲーム市場に参入した[8]
アーケードゲーム

1978年、『ブロックくずし』のコピーゲームである『テーブルアタッカー』でデビュー。同年、『スペースインベーダー』のコピーゲームである『ムーンベース』などを発売するも1979年1月にタイトーにより民事訴訟を起こされ[9]、2年以上に及ぶ法廷闘争の結果、1981年2月4日に日本物産が許諾料を支払うことで和解する[10][11]。日本物産はムーンベースをメインにした直営のゲームセンターまで開店させていた[8]

1979年にも、業務提携していたナムコの作品である『ギャラクシアン』を製造許諾契約に違反し超過製造したうえで『ムーンエイリアン』という名称で発売し、1980年2月にナムコにより東京地裁大阪地裁において民事訴訟を起こされ、1年以上に及ぶ法廷闘争の結果、1981年5月20日に日本物産が超過分の許諾料を支払うことで和解した[12][13]

1980年にはオリジナル作品の『ムーンクレスタ』や『クレイジー・クライマー』などのヒット作品を続けてリリースしている。同年、日本物産が発行した企業案内パンフレットには、『テーブルアタッカー』、『テーブルボンパ』[14]、『ムーンベース』、『ムーンエイリアン』などのコピーゲームが日本物産のオリジナル作品として基板製造工場と共に掲載されていた[15]。一方で、他社のコピーゲームに対しては比較的厳しい姿勢で臨んでおり、日本物産が発行した『ムーンクレスタ』のダイレクトメールには「類似・改変造をした商品を扱われますと、法的手続きにより、ご迷惑をおかけすることになります。」という旨の警告文が掲載されていたほか[16]アミューズメント通信社発行のアーケードゲーム業界紙「ゲームマシン」にも、他社に対して日本物産の諸権利を侵害しないよう注意するようにとの旨の謹告が掲載されていた[17]

1981年9月に発売した『フリスキー・トム』には、業界初のカスタムCPUを導入しコピーゲーム対策を講じた[18]

1983年には業界初の脱衣要素がある麻雀ゲームの『ジャンゴウナイト』を開発し、脱衣麻雀というジャンルを確立させた[19]

1984年にも業界初のゲーム基板に回転機能を搭載した作品『チューブパニック』を開発し、ナムコとセガから技術面で注目された[20]

1980年代中盤からは、脱衣麻雀やエレメカメダルゲーム)に力を入れる一方で、『テラクレスタ』や『コスモポリス ギャリバン』など、FM音源チップを採用した作品を数多くリリース。金属質で耳に突き刺さるようなパワフルなサウンドは「ニチブツサウンド」と呼ばれ[21]、ゲーマーの間で語り継がれている[22]

1988年にはビックリマンブームに着目し『ビックリフィーバー』や『ビックリショット』などのプライズゲームを開発した[23]

1989年にリリースした『AV麻雀 ビデオの妖精』に関して日本アミューズメントマシン工業協会全日本アミューズメント施設営業者協会連合会が業界にとって好ましくないと問題にし[24][25]、日本物産が規定違反のアダルトゲームを製造しないと確約したものの[26]、その後も同じようなアダルトゲームをリリースしたために両団体と対立するようになり、1991年にリリースした『麻雀バクハツ純情伝』の倫理審査を巡って日本物産が日本アミューズメントマシン工業協会の審査は不公平で健全娯楽委員会の審査が進まないと不満を表明し、同年12月2日には日本アミューズメントマシン工業協会を退会した[27][28]。それ以降、脱衣麻雀に比重を移すようになり、1989年リリースの『戦え!ビッグファイター』を最後に、脱衣麻雀を含むアダルト作品以外のアーケードゲームをリリースしていない[29]

1990年代後半にはアダルトゲームブランドの「SPHINX」(スフィンクス)を設立し[3][4]ビデオメーカーであるAVジャパン株式会社とアストロシステムジャパン株式会社の協力のもと、DVDを採用した実写の脱衣麻雀『DVD麻雀』がラインナップの中心となっていたが、2005年の『恋するコスプレ秋葉原』を最後に、脱衣麻雀を含むアダルト作品もリリースしなくなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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