この項目では、1969年公開の日本映画について説明しています。史実上の海戦については「日本海海戦」を、1983年公開の日本映画については「日本海大海戦 海ゆかば」をご覧ください。
日本海大海戦
監督丸山誠治(本編)
円谷英二(特撮)
脚本八住利雄
製作田中友幸
出演者三船敏郎
加山雄三
仲代達矢
音楽佐藤勝
撮影村井博
編集黒岩義民
製作会社東宝[1][2]
配給東宝[1][3]
公開 1969年8月13日[出典 1][注釈 1]
上映時間128分[出典 2]
製作国 日本
言語日本語
配給収入3億6000万円[7][注釈 2]
前作連合艦隊司令長官 山本五十六
次作激動の昭和史 軍閥
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『日本海大海戦』(にほんかいだいかいせん)は、1969年(昭和44年)に東宝が製作した日本の戦争映画[2][4]。カラー、シネマスコープ[2]。同時上映作品は『コント55号 人類の大弱点』。 「東宝8.15シリーズ」の第3作とされるが[出典 3]、前2作と異なり日露戦争を題材としている[出典 4]。日露戦争開戦から、乃木希典による旅順攻略、日本海海戦における東郷平八郎率いる連合艦隊がバルチック艦隊を撃破するまでを描く[3][5]。日本海海戦を描いた作品としては新東宝の『明治天皇と日露大戦争』(1957年)があるが、同作品では短時間の描写であったため、本格的に描いたのは本作品が初とされる[9][4]。 戦艦三笠の本編撮影は、記念館として現存する実際の三笠で行われた[9][3]。三笠保存会の全面協力により、大砲の溶接部分を剥がして可動させている[9]。 義和団の乱の後、出兵した英、米、仏、独、日、伊、墺の各国は兵を引き揚げたが、ロシアだけは満州に5万の兵を留め、さらに増強していた。日本の再三再四の抗議も成果がなく、ついに交渉は途絶した。1904年1月12日、宮中の御前会議で日露開戦に傾いたことを受け、明治天皇は「国交断絶は両国の不幸である」とロシア皇帝に直接電報を打つ旨を述べた。だが、ロシア政府からの返事は無かった。 海軍大臣・山本権兵衛は海軍の即時行動を伊藤博文に進言した。2月5日、日露の国交は断絶し、連合艦隊司令長官・東郷平八郎はバルト海より来るバルチック艦隊との対決に備え、旅順の攻略に取りかかった。 参照[1][12]
概要
あらすじ
キャスト
東郷平八郎海軍大将・連合艦隊司令長官 - 三船敏郎
広瀬武夫海軍少佐 - 加山雄三
明石元二郎陸軍大佐 - 仲代達矢
前山三吉
杉野孫七海軍上等兵曹 - 小鹿敦
藤本海軍軍医中尉 - 東山敬司
松井菊勇海軍大尉・笠置砲術長 - 久保明
安保清種海軍少佐・三笠砲術長[1][注釈 3] - 佐藤允
上村彦之丞海軍中将・第二艦隊司令長官 - 藤田進
津野田是重陸軍大尉・第三軍参謀 - 平田昭彦
秋山真之海軍中佐・連合艦隊司令部参謀 - 土屋嘉男
山岡熊治陸軍少佐・第三軍参謀 - 船戸順
丸橋彦三郎
伊地知彦次郎海軍大佐・三笠艦長 - 田島義文
栗野慎一郎駐ロシア公使 - 小泉博
橋口島司