日本海中部地震
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日本海中部地震
日本海中部地震の震度分布
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地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日1983年昭和58年)5月26日 [1]
発生時刻11時59分57.5秒 (JST) [1]
震央 日本 秋田県[1]
(能代市西方沖80km)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度21.6分 東経139度04.4分 / 北緯40.3600度 東経139.0733度 / 40.3600; 139.0733座標: 北緯40度21.6分 東経139度04.4分 / 北緯40.3600度 東経139.0733度 / 40.3600; 139.0733[1]
震源の深さ14 km
規模   M7.7
最大震度   震度5:秋田県秋田市
青森県深浦町むつ市
津波14 m:秋田県 峰浜村(現・八峰町
地震の種類衝上断層
余震
最大余震6月21日 15時25分 M 7.1
被害
死傷者数死者 104人
負傷者 163人
被害総額1482億3827万円
被害地域主に秋田県、青森県、山形県
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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日本海中部地震(にほんかいちゅうぶじしん)は、1983年昭和58年)5月26日11時59分57.5秒に、秋田県能代市西方沖80 km(北緯40度21.6分 東経139度04.4分 / 北緯40.3600度 東経139.0733度 / 40.3600; 139.0733)の地点で発生した逆断層型の地震である。地震の規模はM7.7(Mw7.7-7.9)。
概要

当時日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10 mを超える津波による被害が出た。日本での死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者であった[2]。家屋の全半壊3049棟、船舶沈没または流失706隻[2]、被害総額は約518億円にのぼった[3]

震度4以上(当時の震度階による)を観測した地点は以下の通りであった[1]

震度都道府県観測所
5青森県深浦むつ
秋田県秋田
4青森県青森八戸弘前[4]
北海道江差
岩手県盛岡
山形県酒田

震源に最も近い能代市では当時まだ地震計が設置されておらず、震度5またはそれ以上と推測された。
解説

本震に先立ち前震とみられる地震が5月14日22時49分頃(M 5)、5月22日4時52分頃(M 2.4)、同日23時14分頃(M 2.3)に本震と同じ場所で発生している。本震は、約20秒間隔で発生した2つの揺れで構成されている[5]。本震発生後の余震は、6月1日0時まで有感地震が211回、無感地震が828回あった。さらに6月に入ってから6月9日21時49分にM 6.1、同22時4分にM 5.9、そして最大の余震(M 7.1)が本震発生後の1か月ほど後の6月21日15時25分に発生した。この余震では津波が観測された。

気象庁が正式名称の「日本海中部地震」を発表するまでの間に報道各局が便宜上使用した名称として使われ、公式の記録上には残らないものに「秋田沖地震」や「日本海秋田沖地震」の通称がある。
地学的知見

樺太から新潟沖へとつながる、日本海東縁変動帯の日本列島の乗る島弧地殻と、日本海の海洋地殻の境界付近で発生した地震[6]。後年の詳細な調査により、プレート境界型に近い地震発生様式である可能性が高いことが明かになった[7]。また約1000年前に、同様な大地震が発生していた可能性も指摘されている[7]

青森県西津軽郡岩崎村の沖合約40 kmで、震源域のすぐ近くにある長さ50 m、幅13 m程度の岩礁の島、久六島では約30 cm - 40 cm沈下したと考えられる[8]
地震像

震源域は“く”の字を逆にした様な形で、総延長が約100 km。

複数の手法による解析の結果、いくつかの破壊モデルが挙げられている。

その1つは、本震は約50秒間の3つのサブイベントからなる[9]。第1イベントは最初の破壊点から北北東方向に久六島の西方沖まで破壊が進んだ。第2イベントは第1イベントの終了後約10秒間の時間をあけて北北西に進み北緯40.8付近で止まった。第3イベントは第2イベントが止まった北緯40.8付近で破壊方向を北北西方向に変え進んだ。

別な解析では、2つのサブイベントからなり主破壊は30 - 35 km離れたところで24秒 - 26秒間隔で発生した[10]、などがある。
前震活動

1964年男鹿半島沖地震 (M 6.9)は破壊開始点が近接しており先行した地震と考える説もある[11]。また、本震発生の12日前の5月14日に 破壊開始点付近でM 4.9 の地震が発生し顕著な活動は、5月20日頃まで続いた[12]。また発生に先立ち、約10年間の静穏化が発生していた[13]
地震被害

警察庁 1983年12月死者・負傷者数住宅被害棟数その他
地域死亡負傷全壊半壊全半焼一部損壊道路山崩れ
北海道55523
青森県181675872126577
秋田県43675710293173553540
山形県11
新潟県1
合計45992416165305661643


倒壊物等により、秋田県内で4人が死亡した。

秋田市大町二丁目の本金デパートの名物「本金タワー」が倒壊し屋根を直撃、4階で催事の準備をしていた主婦3人が下敷きになり1人が死亡した。

能代市男鹿市では、地震によるショックで、高齢女性がそれぞれ1名死亡した[14]


家屋の被害は、全壊934戸、半壊2115戸、一部損壊3258戸、流出52戸、浸水214戸、その他2582戸に達し、被害総額は1482億3827万円余。秋田県では太平洋戦争下の土崎空襲以後の最大の災害であった。

火災被害の報告は一般家屋ではなかったが、秋田市の東北電力秋田火力発電所内の原油の浮屋根タンクで火災が発生し、新潟でも石油タンクが石油の溢流を起こした。これらは長周期地震動によるスロッシングによるものであることが後にわかった[15][16]

液状化現象によって、港湾・道路・鉄道・八郎潟干拓堤防の破壊などが起きた。液状化現象は1964年(昭和39年)の新潟地震から注目された現象であったが、この地震での広範囲にわたる被害により、さらに注目されるようになった。


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