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情報
通称武道館
完成1964年9月15日
開館1964年10月3日
開館公演1964年東京オリンピック・柔道競技
(1964年10月20日 - 23日)
収容人員最大14,501人
客席数固定席(1階:3,199席)
固定席(2・3階:7,846席)
立見席(3階:480席)
仮設席・アリーナ(最大2,946席)
延床面積中道場棟を含まないと21,133.3m²
用途武道の試合、競技イベント全般
音楽コンサート
政党大会、集会等
運営公益財団法人日本武道館
所在地東京都千代田区北の丸公園2番3号
北の丸公園内
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分35.2秒 東経139度44分57.7秒 / 北緯35.693111度 東経139.749361度 / 35.693111; 139.749361座標: 北緯35度41分35.2秒 東経139度44分57.7秒 / 北緯35.693111度 東経139.749361度 / 35.693111; 139.749361
アクセス地下鉄九段下駅2番出口より徒歩5分
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日本武道館(にっぽんぶどうかん、Nippon Bud?kan)は、東京都千代田区北の丸公園2-3にある武道館。日本伝統の武道を普及奨励し、心身錬磨の大道場としての役割を担うことを設立趣旨とする。日本武道協議会加盟。武道以外の屋内競技場、多目的ホールとしても利用される。管理運営者は公益財団法人日本武道館[注 1]。 公益財団法人日本武道館設立1962年
概要
法人番号8010005004194
法的地位公益財団法人
目的同施設の管理運営、武道振興など
所在地東京都千代田区北の丸公園2番3号
会長高村正彦
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全国戦没者追悼式の会場として使用(2023年8月15日)
1964年東京オリンピックの柔道競技会場[注 2]として建設され、同年10月3日に開館した。設計は山田守、施工は竹中工務店(全国建設業協会会長から推薦されて決定[3])、総工費は当時の金額で18億円である[4]。
法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠である。大屋根の稜線は富士山をイメージしている[5]。
日本の武道(柔道・剣道・弓道・相撲・空手道・合気道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道・古武道)の稽古場、競技場として使用されている。
また、ダンス、マーチングバンド・バトントワリングの競技会に使われるほか、民放キー局が主催・放送していた、年末の賞取りレースと称される音楽祭(1988年まで)コンサートや格闘技(プロボクシング、プロレス、総合格闘技)の興行会場、大学や企業などの大規模な入学式・卒業式・株主総会の会場として、幅広く使用される。
文部科学省からの補助金等は、2010年(平成22年)度の場合、4240万7000円が交付されている[6]。
また千葉県勝浦市に日本武道館研修センターがある。
公演会場としての利用「日本武道館における公演」も参照
設立された頃は「日本武道の聖地」的な意味合いが現在以上に強かったため、1966年にビートルズのコンサートが行われた際には、時の武道館館長であった正力松太郎や政治評論家の細川隆元を始め「日本の武道文化を冒涜する」などとして異を唱える者も多かった。コンサートが正力の読売新聞主催で行われることになると、正力は以後前述の論を口にすることは無くなり、ビートルズのコンサートが実現して以後は日本における音楽の聖地としても知られるようになり、多くのミュージシャンにとっての憧れの舞台になっている。音楽分野を含め公演会場の分野で「武道館」一部プロモーターでは「武道館大ホール」と言う場合は、一般的に当館のことを指す。
チープ・トリックのライブ・アルバム『チープ・トリックat武道館』の成功を皮切りに、世界的にもロックコンサートの代名詞的存在としてその名が知られるようになっている。 日本武道館のあたりは、元々太田道灌が江戸城を築城した際に、関東の守護神でもあった築土神社(旧・田安明神)が遷座したところで、のち、徳川家康が入府した際に、関東代官であった内藤清成らの屋敷となったため、代官町と呼ばれていた。その後、徳川忠長や徳川綱重らの屋敷を経て、江戸時代中期以降は徳川氏の御三卿であった田安徳川家が屋敷を構えたが、明治維新後取り壊され近衛師団の兵営地となった。 1961年(昭和36年)6月、柔道が1964年東京オリンピックの正式競技に決定すると柔道愛好者の国会議員は「国会議員柔道連盟」を結成した。日本テレビの野外スタジオで開かれた発足祝賀会の席上で同連盟会長に就任した衆議院議員正力松太郎は、「世界に誇る武道の大殿堂を東京の中央に建設して、斯道の発展普及を図りたい」と表明。同年6月30日、「武道会館建設議員連盟」(会長:正力松太郎、副会長:水田三喜男、松前重義、佐藤洋之助、赤城宗徳)を結成した[7]。 この構想は衆議院議長清瀬一郎、参議院議長松野鶴平、内閣総理大臣池田勇人、日本社会党委員長河上丈太郎、民社党委員長西尾末広、日本共産党議長野坂参三をはじめとする超党派の議員525名の署名が集まった。 1962年(昭和37年)1月31日、文部大臣の認可を得て「財団法人日本武道館」(会長:正力松太郎、副会長:木村篤太郎、松前重義、理事長:赤城宗徳)が発足[8]。建設地は二転三転した後北の丸に決定し、1964年(昭和39年)9月15日に日本武道館が落成した。同年10月3日、昭和天皇・香淳皇后を迎え開館式を行った。同月15日には東京オリンピックの公開競技武道(剣道、弓道、相撲)が、20日?23日には柔道が実施された。以来、日本武道館は、設立の趣旨に沿い、種々の武道振興普及事業、各種武道大会を行い、一方で公益的な使命をもつ国家的な諸行事にも広く活用されることとなる。 柔道や空手会場となる2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け増築・改修を行った。練習施設である中武道場(ちゅう・ぶどうじょう)を含む「中道場棟」の増築を2018年6月ごろ着工、2019年6月の竣工で計画。2019年3月以降8月までに増設される。中武道場は東京オリンピックのテスト大会と位置付けられた8月25日からの2019年世界柔道選手権大会ではウォームアップ用の練習場として使用された。擬宝珠は世界柔道選手権開催中はネットに覆われ見えなくなっていた。2019年9月1日に世界柔道選手権が終了すると全面休館し、既存本館の大屋根改修、天井耐震化、バリアフリー化などを行った[9][10]。当初建設時も設計を担当した山田守建築事務所により改修が行われた[10][11]。建築時の屋根は銅板で、赤銅色が酸化して緑青色に変わっていったが、今回はステンレスやアルミニウム合金を使用し、「イメージを維持し、周辺の緑に調和する」緑青色に塗装されている[11]。2020年7月29日に竣工式、8月15日に政府主催の全国戦没者追悼式が開かれた[11]。 例年以下のような行事が開催されている。
沿革日本武道館の空中写真。2019年。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
前史
建設・オリンピックまでの経緯
改修
旧江戸城 田安門(重要文化財 2009年7月13日撮影)
九段下側入口
擬宝珠(ぎぼし)寸法は高さ3.35メートル、直径5.15メートル。
館内撮影(2018年10月)
春の武道館(明治大学入学式開催)
歴代会長
正力松太郎(1962年1月31日 - 1969年10月9日)
川島正次郎(1970年4月9日 - 1970年11月9日)
赤城宗徳(1971年9月27日 - 1974年7月2日)
松前重義(1975年11月27日 - 1991年8月25日)
江ア真澄(1991年9月18日 - 1996年5月21日)
坂本三十次(1996年6月1日 - 1998年6月5日)
塩川正十郎(1998年6月5日 - 2007年6月12日)
松永光(2007年6月12日 - 2017年6月13日)
高村正彦(2017年6月27日 - )
行事全日本剣道選手権大会
1月 - 2月:全日本書初め大展覧会(正月には大道場で席書大会が行われる)
成人の日:鏡開き式・武道始め
2月:日本古武道演武大会(日本古武道協会共催)
3月中旬:全国高等学校柔道選手権大会
4月29日:全日本柔道選手権大会
5月:全日本合気道演武大会
7月下旬 - 8月上旬:全日本少年武道錬成大会(柔道・剣道・弓道・空手道・合気道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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