日本教職員組合
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全日本教職員組合」とは異なります。

日本教職員組合
(日教組)
Japan Teachers' Union
(JTU)
設立年月日1947年昭和22年)6月8日
前身組織全日本教員組合
教員組合全国同盟
大学専門学校教職員組合協議会
組織形態教職員組合
組合員数約20万人(令和5年6月30日現在)[1]
国籍 日本
本部所在地〒101-0003
東京都千代田区一ツ橋2丁目6?2日本教育会館
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分39.3秒 東経139度45分22.4秒 / 北緯35.694250度 東経139.756222度 / 35.694250; 139.756222
法人番号4010005001831
加盟組織日本労働組合総連合会
公務公共サービス労働組合協議会
教育インターナショナル
支持政党立憲民主党
社会民主党
公式サイト日本教職員組合

日本教職員組合(にほんきょうしょくいんくみあい、略称:日教組 (にっきょうそ)、英語:Japan Teachers' Union、略称:JTU)は、日本の公立小学校中学校高等学校教員学校職員による労働組合の連合体である。教職員組合としては日本最大であり、日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、教育インターナショナル(EI)に加盟している。

立憲民主党および社会民主党(旧日本社会党)の支持団体の一つであり、両党に地方議会・国会に組織内議員を輩出してきた[2][3][4][5][6]。文部科学省が毎年10月1日に実施している教職員団体への加入状況調査や、厚生労働省が毎年6月30日に実施している労働組合基礎調査などから、日教組の加入者数が緩やかな減少傾向にあることが明らかになっている[7]。1977年以降から小中高教職員を占める割合(組織率)は下落の一途であり[6]、2016年秋時点23.6%[2]、2020年10月時点で過去最低の21.3%である[6]

NGOであるEducation International(EI)に加盟している[8](EIには米国の全米教職員組合など世界のほとんどの教職員組合がメンバーで[9]ある)。
概説

日教組は、国立公立私立幼稚園小学校中学校高等学校特別支援学校大学高等専門学校専修学校各種学校などの教職員で構成する組合と、教育関連団体スタッフによる組合を単位組織とする連合体組織であり、教職員の待遇改善、地位の向上、教職員定数の改善をはじめとする教育条件の整備などを主な目的として活動している利益団体である。現状では小学校、中学校、高等学校の教職員が組合員の大半を占めている。現存する日本の教職員組合の中で最も歴史が古く、規模も結成以来一貫して日本最大の教職員組合である[注 1]

2007年の教育基本法改定、教員免許更新制導入に反対する運動など、教育課題に直接関係する活動のほか、政治的な活動も行っており[10]入学式卒業式国旗掲揚及び国歌斉唱を求める文部科学省の指導[注 2]に対しては、様々な教職員に対する処分の実態などを背景にして「強制」であるとして批判的な立場をとる。

日教組の政治活動が大きな問題となった例としては、日教組系の山梨県教職員組合による政治献金問題や、教職員組合の政治活動問題などがある(詳細は下記の『教職員組合の政治活動への批判』などを参照)。

55年体制下では、他の総評系官公労と同じく、社会党を支持する有力労働組合の一つであったが、かつては日本共産党支持の教職員らも日教組に属し、共産党支持グループからなる反主流派が約3分の1の勢力を持っていた。しかし、1987年に総評が日本労働組合総連合会発足のために全日本労働総同盟と合流したため、共産党支持グループの大多数が1991年に日教組から離脱して、全日本教職員組合を発足させ、日教組内の反主流派はごく一部を残すのみとなった。日教組内の約半数弱を占めていた共産党系教職員らが離脱したことで、1991年に日教組の組織率は50%弱から2割一気に減って30%台となった[11]
現状

かつて、日教組の組織の形態は法人格のない社団であり、そのことに起因する活動範囲、権利能力及び財産管理など(団体名義による契約締結及び口座開設並びに登記などができないこと)の問題を改善するために法人格取得への動きがあったが、難航していた。2021年時点では、法人格がある[12]

かつては日本の学校教育に大きな影響力を持ち、文部省(現在の文部科学省)が教育行政によるトップダウン方式で均質かつ地域格差のない教育を指向するのに対し、現場の教員がボトムアップ方式で築く柔軟で人間的な教育を唱え、激しく対立した。その後、1994年(平成6年)に日本社会党委員長村山富市を首班とする村山内閣自社さ連立政権)が誕生した。そして、1995年(平成7年)、日本教職員組合は、文部省(当時)との協調路線(歴史的和解)へと方針転換を表明した。

組織内候補として日本民主教育政治連盟(日政連)に所属する議員を推薦して、国会に送り込んでおり、連合に所属する産別の中では、政治的影響力は大きいとされる。国会議員では衆議院議員横光克彦川内博史本多平直道下大樹参議院議員には水岡俊一那谷屋正義斎藤嘉隆鉢呂吉雄がいる。

2022年現在では立憲民主党支持が中心であるが、岩手県大分県など社会民主党を軸に支持するところや、広島県のように新社会党を支援するところもある(大分県の例については大分県教職員組合を参照)。
組織

本部組織

大会

中央委員会

中央執行委員会

総務局(総務、財務)

組織局(組織、国際、広報)

高等学校・大学局

教育文化局(教育政策・文化・研究)

生活局(生活、賃金、法制)

専門部・対策委員会

幼稚園部

現業職員部

障害児教員部

養護教員部

実習教員部

事務職員部

栄養職員部

青年部

女性部

書記対策委員会

臨時採用教職員等対策委員会

学校図書館対策委員会


地方組織

都道府県の単位組合(詳しくは
#加盟組合を参照)

地域ごとの単位組合

学校ごとの単位組合


独立機関・所属機関

国民教育文化総合研究所(教育総研):シンクタンク

国立大学・公的機関交流センター(UIPセンター)

日本国公立大学高専教職員組合(日大教)

日本私立学校教職員組合(日私教)

組織率

公立小・中・高等学校における組織率及び組合員数は、文部省及び文部科学省発表による。単組数は直接的な下部組織のみ。

1958年(昭和33年):86.3%(調査開始時)

2003年(平成15年):30.4%、76単組、組合員数約31万8,000?33万人

2004年(平成16年):29.9%、76単組、組合員数約31?32万2,000人

2006年(平成18年):28.8%、76単組、組合員数約29万6,000人

2007年(平成19年):28.3%、76単組、組合員数約29万人

2017年(平成29年):22.9%、(調査なし)、組合員数約23.5万人[13]

都道府県で組織率に格差があり、山梨県静岡県愛知県新潟県福井県三重県兵庫県大分県北海道大阪東部などで比較的高い組織率を保つ一方、栃木県岐阜県愛媛県など、ほぼゼロのところ、和歌山県のように、和歌山市に200?300人がほぼ集中しているところ、京都府のように、100人前後を組織するにとどまっているところもある。

新採用教職員に限った場合、その加入者数は約6,800人で、加入率は約19.2%(2017年10月1日現在)[13]である。

また、厚生労働省による「労働組合基礎調査」によれば、私立学校教員や大学教員、教員以外の学校職員を含んだ組織人員は約23万6,000人[14](2017年6月30日現在)である。
組合歌

日本教職員組合歌 作詞:今井広史、作曲:
佐々木すぐる

正式な組合歌は「日本教職員組合歌」であるが、現在、集会などでよく歌われているものは、日教組が公募して「君が代」に代わる国歌として1951年に選ばれた「緑の山河」である。
歴史

第二次世界大戦後に日本占領下に置いた連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)は、学校教育の改革政策として「民主化の一環」として1945年12月に教員組合の結成を指令した。既に11月には京都徳島教職員組合が結成されていた。12月には全日本教員組合(全教。翌年より「全日本教員組合協議会」)が、また翌年、教員組合全国同盟(教全連)が結成された。これら2つの組織に大学専門学校教職員組合協議会を加えて、組織を一本化する機運が生まれ、1947年(昭和22年)6月8日に奈良県高市郡(現在の橿原市橿原神宮外苑で日本教職員組合の結成大会が開かれた。大会では、日教組の地位確立と教育の民主化、民主主義教育の推進を目指すと定めた3つの綱領を採択し、6・3制(小学校6年間・中学校3年間)完全実施・教育復興に向けての取り組みを開始するとした。日教組結成大会 橿原神宮

1950年6月に北朝鮮韓国に突如侵攻したことで朝鮮戦争が勃発し、連合国軍最高司令官のマッカーサー警察予備隊(後の保安隊、現在の自衛隊)の創設を指令、再軍備に道を開き、日本を「反共の砦」と位置づけた。また日本政府も連合国軍による占領終了に伴う主権回復(1952年4月28日:日本国との平和条約発効)を前にして、「日の丸」「君が代」「道徳教育」の導入など、左翼陣営から戦前への「逆コース」といわれる教育政策を志向し始めた。戦後教育見直しや再軍備への動きの中で、日教組は、1951年1月に開いた中央委員会でスローガン「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」(=非武装中立)を採択し文部省(現・文部科学省)の方針に対立する運動を開始した。また、1951年11月10日、栃木県日光市で第1回全国教育研究大会(教育研究全国集会=全国教研の前身)を開き、毎年1回の教育研究集会を開催、現在に至っている。

その後も、「教師の倫理綱領」を定めて新しい教員の姿を模索する一方、文部大臣(現在の文部科学大臣)と団体交渉を行ってきた。

「教育の国家統制」や「能力主義教育政策」に反対する立場を取り、1950年代から60年代にかけて、以下のような運動を行った。


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