日本振興銀行
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日本振興銀行株式会社
Incubator Bank of Japan, Limited
本社所在地の第2日成ビル
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
101-0053
東京都千代田区神田美土代町5番地2
 第2日成ビル
設立2003年平成15年)4月21日
(中小新興企業融資企画株式会社)
業種銀行業
法人番号8010001082558
金融機関コード0037
事業内容中小企業・新興企業への資金調達手段の提供・事業資金の融資等
代表者代表清算人 長沢 美智子
資本金124億4461万2千円
2009年(平成21年)3月31日現在)
発行済株式総数17万2968株
(2009年(平成21年)3月31日現在)
純利益△51億35百万円
(2010年3月期)
純資産274億73百万円
(2010年3月期)
総資産6469億55百万円
2010年(平成22年)3月31日現在)
従業員数317名
決算期3月31日
主要株主木村剛 6.24%
株式会社フィナンシャル 4.67%
中小企業保証機構株式会社 4.63%
中小企業信用機構株式会社 4.58%
NISリース株式会社 4.54%
2009年(平成21年)9月30日現在)
関係する人物落合伸治(設立時社長)
木村剛(創業者・元会長)
竹中平蔵(設立当時の所管大臣)
江上剛(破綻時の社長)
特記事項:2011年(平成23年)4月25日現在の店舗数は1店。2012年(平成24年)9月10日解散、日本振興清算株式会社に商号変更。2017年(平成29年)5月2日 清算結了 特記なきデータは解散時点のもの。
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日本振興銀行株式会社(にほんしんこうぎんこう、Incubator Bank of Japan, Limited)は、かつて存在した日本の銀行

2003年(平成15年)に設立され、2004年(平成16年)開業、2010年(平成22年)9月10日に自力再建を断念し、金融庁に破綻申請と東京地方裁判所民事再生法を申請し、経営破綻した[1]

2012年(平成24年)9月10日付で法人解散・清算会社となり、商号も日本振興清算株式会社(にほんしんこうせいさん)に変更され、2017年(平成29年)5月2日に清算が結了し、法人格が消滅した[2]
概要

中小企業向けの融資、一般顧客の定期預金専門の銀行で、金融庁の分類では、「新たな形態の銀行等」として位置付けられていた。都市銀行と同じく、金融庁長官の監督を受ける、いわゆる本庁直轄銀行であった。

既存の商業銀行等による低金利貸出市場と、貸金業者(ノンバンク)による高金利貸出市場との中間領域として、ミドルリスク・ミドルリターンの新たな貸出市場ビジネスモデルを目指した。融資手法として、スコアリング融資などの採用を理念とした[3]

当初は、東京都、神奈川県埼玉県千葉県の中小企業を対象に無担保第三者保証不要の融資を主に手掛けたが、従来の銀行と商工ローンの中間の年利5 - 15パーセント程度と、一般の銀行に比べて高利であった。

全国銀行協会に準会員として加盟しているが、日本国内に本店を置く多くの預金取扱金融機関が保有する、日銀の当座預金である準備預金制度を開設しておらず、日銀ネットに接続していない。決済性預金である当座預金普通預金を扱わず、全銀システムに非加盟である。日銀当座を通じた資金調達は事実上不能で、インターバンク市場に参加していなかった。預金獲得と銀行株式の増資出資で資金・資本を調達し、貸出金の利息収入などで収益を得るビジネスモデルとなった。
沿革
設立経緯

2003年(平成15年)2月12日、東京青年会議所(東京JC)が第一ホテル東京で開催した例会で、パネリスト木村剛が「20億円集めれば銀行をすぐに作れる。」と発言したことをきっかけに、東京JC入会希望者として出席していた消費者金融の資金元である卸金融を手がけていたノンバンク「オレガ」の落合伸治が20億円用意し、木村がアドバイスする形で、「中小新興企業融資企画株式会社」を設立して銀行設立準備に入った[4]。2003年度東京JC理事長平将明も銀行設立計画に賛同し、JC会員約90人から1億円が集められた。同年8月20日に予備免許申請が金融庁に受理され、同日夕刻、落合、木村、平の3人が「日本振興銀行設立」記者会見を行った。以降、新聞雑誌など多くのメディアで「東京JCが新銀行をつくる」と事実に反する報道がされ、東京JC事務局にはOBからの苦情や一般からの問合せが殺到した。2日後の8月22日、平は「公益法人営利企業の設立はできない。個人の立場で記者会見に臨んだ」と東京JCメールマガジンを通じて見解を明らかにした[5]

東京都千代田区みずほ銀行大手町支店跡地大手町ビル2004年(平成16年)4月21日に開業した。

設立資金20億円出資者の設立発起人で社長に就任していた落合は、木村や平を含む役員らに銀行役員を解任され、木村を告発するなど混乱が続いた[6][7][8][9]
経営破綻

2010年(平成22年)6月7日から一部業務停止命令を受け[10]、7月に検査妨害の疑いで元役員が逮捕されたこともあり、定期預金の引き出しが続き、資産状況が悪化。9月の中間決算で1804億円の債務超過となる見込みとなったことから、9月10日午前6時から臨時取締役会を開催し、内閣総理大臣金融庁)に対して預金保険法第74条第5項に該当する金融整理管財人による管理が必要な事態である旨の申し出を行うことを決議した。これを受けて同日、申し出を行い、金融庁が同行に対して金融整理管財人による業務財産管理命令、預金保険機構を金融整理管財人に選任、同日から3日間の業務停止命令を出した[11][12]。振興銀は、同日中に東京地方裁判所民事再生手続開始の申立てを行い、設立から6年余りで経営破綻した。日本の銀行破綻としては、創業前の2003年(平成15年)11月末に生じた足利銀行以降、およそ6年10か月ぶりであった。

政府と預金保険機構は、預金保険法に基づき、預金の払い戻し保証額を元本1000万円とその利子までとする定額保護、いわゆる「ペイオフ」を1971年(昭和46年)の制度創設後初めて発動。振興銀はペイオフを意識した預金の募集を行っており、5800億円程の預金のほとんどがペイオフ限度以下の預金で、ペイオフ限度超の預金を保有していたのは預金者の3%にあたる3560人でそのカット対象となる預金は120億円程度にとどまった[13]。当局者は預金保険制度を悪用したモラル・ハザードであると問題視していた。その一方で、老後のマンション購入資金の貯蓄用途にと4000万円余りを預金し、破綻翌日に店舗に出向き、報道機関の取材を受けた個人も存在していた。

第二日本承継銀行は同日、合併の基本合意を締結し、破綻から8か月後を目処に事業譲渡を行うこととした。当面は金融整理管財人の元で営業を続け新規の預金および自動継続を受け付けるが利子は主要金融機関の利子を参考にしたものを適用し、保護対象の既存の預金に関しては事業譲渡以前に満期が来るものについては満期利率および中途解約利率がそのまま適用され、満期が事業譲渡以降になるものに関しては事業譲渡の際に同意書が送られ同意するものに付いては事業譲渡以前までの利率とその後定められる満期利率が適用され、同意しない旨を伝えられた預金については、約定利率を破綻日まで適用した利息が払い戻される[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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