日本学生陸上競技対校選手権大会
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日本学生陸上競技対校選手権大会開始年1928
主催
日本学生陸上競技連合
前回優勝男子 順天堂大学
女子 日本体育大学
最多優勝男子 順天堂大学 (29)
女子 筑波大学 (27)
公式サイト
天皇賜盃 第83回日本学生陸上競技対校選手権大会
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日本学生陸上競技対校選手権大会(にほんがくせいりくじょうきょうぎたいこうせんしゅけんたいかい)は、日本学生陸上競技連合が主催する日本陸上競技大会である。

日本学生陸上競技連合に加盟する大学陸上競技部による対校選手権大会であり、種目ごとの個人成績とチームによる総合成績が競われる。開催時期は例年9月。男子は天皇賜盃、女子は秩父宮妃賜杯として開催される。日本インカレが正式な略称[1] である。目次

1 歴史

2 大会成績

3 大会記録

3.1 男子

3.2 女子


4 標準記録

5 関連項目

6 脚注

6.1 注釈

6.2 出典


7 外部リンク

歴史 織田幹雄 吉岡隆徳

1927年、当時の全国学生陸上競技連合(関東中心)と大学専門学校陸上競技連盟(関西中心)が協議を行い、全国規模の陸上競技大会をしようと、1928年日本学連発足と同時に第1回大会が東京・神宮にて開催された。1941年に開催予定だった第14回大会は戦争のために中止となり、1943年から1946年まで戦争のため開催されなかった。第16回大会までは男子の部のみの開催であり、1948年第17回大会から女子の部も行なわれるようになった。女子の部は開始翌年の1949年第18回大会が開催されなかった[2][3]

第1回大会は18種目[注 1] が開催された。織田幹雄が110mハードル・走幅跳・三段跳の、沖田芳夫が砲丸投・ハンマー投・円盤投のそれぞれ3種目優勝を飾り、早稲田大学が総合優勝した。織田は第1回-第3回大会の走幅跳・三段跳にて3年連続優勝を飾り、吉岡隆徳は第3回-6回の100m・200mにて4年連続優勝を果たした[4]

同一種目の最多連続優勝は国士舘大学・国士舘大学大学院の堤雄司による第77回-第82回の男子円盤投6年連続優勝である[5]。男子棒高跳では早稲田大学の西田修平が第1回-第5回を、慶應義塾大学の大江季雄は第6回-第10回をそれぞれ5連覇した[6]。4年連続優勝には、順天堂大学の宮下敏夫による第37回-第40回の男子5000m[注 2]、日本体育大学の石井隆士による第42回-第45回の男子1500m[注 3] などの記録が残されている[7]。第76回-第79回大会では男子100mで江里口匡史、女子100mで高橋萌木子がそれぞれ4年連続優勝を飾った[8]

男子長距離種目として第21回大会から第45回大会まで20kmが開催されていたが、翌第46回大会より30kmに距離が延長された。1988年第57回からは30kmに替えてハーフマラソンが施行され、ジョセフ・オツオリが施行初年度の優勝を飾った[9]。ハーフマラソンは2004年第73回大会を最後に廃止された[10]

会場は例年原則として国立霞ヶ丘競技場陸上競技場であったが、昨今は横浜国際総合競技場や一部種目は日本体育大学横浜健志台陸上競技場等をも使用されており、流動的である。2009年第78回大会まで天皇賜「杯」として開催されていたが、翌2010年の第79回大会より天皇賜「盃」に改められた。

ユニバーシアードの開催年は日本代表選手選考会を兼ねている。参加標準記録は各地区のインカレよりも高くレベルこそ高いものの、これまでの大半の総合優勝は関東学生陸上競技連盟所属の大学によって占められている。

近年は開催時期が9月から7月、6月、そして2008年は再び9月と目まぐるしく変わっている。これは箱根駅伝を頂点と考える関東の大学の長距離関係者の影響も大きいが、逆に一般種目を抱える多くの大学からの反発の声を受け、再び9月に戻した格好になっている。しかし関東学連所属のうち箱根駅伝予選会へ出場する大学が、夏合宿を優先してエントリーすらしない場合さえあり、日本学連主催の一大大会が箱根駅伝を抱える関東学連によって内容を左右される現象も起きている。
大会成績

各種目ごとに成績に応じて得点が与えられ、その合計得点により各校の総合成績が決定される。1位8点、2位7点・・・8位1点と、各種目の1位から8位までの入賞者に8点から1点までの得点が与えられる[11]

開催日程男子優勝女子優勝
第1回1928年5月26日-27日早稲田大学
第2回1929年5月25日-26日早稲田大学
第3回1930年5月10日-11日早稲田大学
第4回1931年5月30日-31日東京文理科大学
第5回1932年5月14日-15日東京文理科大学
第6回1933年5月27日-28日東京文理科大学
第7回1934年6月6日-7日東京文理科大学
第8回1935年10月10日-11日早稲田大学
第9回1936年10月10日-11日早稲田大学
第10回1937年9月5日-6日早稲田大学
第11回1938年9月22日-23日東京文理科大学
第12回1939年10月21日-22日東京文理科大学
第13回1940年9月21日-22日東京文理科大学
第14回1941年(中止)
第15回1942年6月27日-28日早稲田大学
第16回1947年7月19日-21日中央大学
第17回1948年7月18日-19日中央大学日本女子体育短期大学
第18回1949年7月16日-17日早稲田大学
第19回1950年7月15日-16日中央大学日本女子体育短期大学
第20回1951年7月7日-8日日本大学日本女子体育短期大学
第21回1952年9月13日-14日中央大学中央大学
第22回1953年7月4日-5日中央大学光華女子短期大学
第23回1954年7月17日-18日中央大学中央大学
第24回1955年7月2日-3日中央大学中央大学
第25回1956年7月7日-8日中央大学中央大学
第26回1957年7月6日-7日早稲田大学中央大学
第27回1958年7月4日-6日早稲田大学中央大学
第28回1959年7月4日-5日中央大学中央大学
第29回1960年6月4日-5日中央大学光華女子短期大学
第30回1961年6月17日-18日中央大学日本大学
第31回1962年6月2日-3日中央大学中央大学
第32回1963年9月21日-22日日本大学日本大学
第33回1964年5月29日-31日日本大学中京大学
第34回1965年9月11日-12日日本大学中京大学
第35回1966年9月2日-4日日本大学日本大学
第36回1967年6月9日-11日日本大学日本大学
第37回1968年6月28日-30日日本大学中京大学
第38回1969年6月14日-15日
9月20日-22日順天堂大学日本大学
第39回1970年10月24日-25日
10月30日-11月1日順天堂大学日本体育大学
第40回1971年10月9日-10日
15日-17日順天堂大学日本体育大学


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