日本大正村
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日本大正村
施設情報
管理運営公益財団法人日本大正村
来園者数年間約45万人
(1996年-1998年のピーク時)
開園1988年(昭和63年)4月
所在地
509-7704
岐阜県恵那市明智町456(事務局)
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度18分17.6秒 東経137度23分25.3秒 / 北緯35.304889度 東経137.390361度 / 35.304889; 137.390361座標: 北緯35度18分17.6秒 東経137度23分25.3秒 / 北緯35.304889度 東経137.390361度 / 35.304889; 137.390361
公式サイト ⇒http://www.nihon-taishomura.or.jp/
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日本大正村(にほんたいしょうむら)は、岐阜県恵那市明智町にあるレトロテーマパーク(野外博物館)である。
特色

1988年昭和63年)4月、恵那郡明智町町おこしとして構想・立村された。初代村長は高峰三枝子1999年平成11年)に司葉子が二代目村長、2015年(平成27年)には竹下景子が三代目村長に就任した[1]

特定の敷地内に設けられた施設ではなく、街全体(旧・明知町)として大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗、資料館、博物館などが軒を連ねている。郵便局銀行は実際の窓口業務も行っている。大正浪漫館、日本大正村資料館、大正時代館の3施設に入館するには共通入場券が必要であるが、それ以外の施設での見学は入場料不要。また、村内のレストランおよびコテージは旧明智町などが出資しして設立された第三セクターの大正ロマン株式会社が運営を行なっている。

日本昭和村(岐阜県美濃加茂市)、明治村愛知県犬山市)と直接の関係は無い。かつては3村で連携は行われていた。
歴史

1983年(
昭和58年)9月25日 - 沢田正春(文芸写真家)と明智町観光協会により構想

1984年(昭和59年)5月6日 - 立村式を開催

1985年(昭和60年)4月1日- 日本大正村資料館が開館

1986年(昭和61年)11月25日 - 日本大正村シンポジウム86を開催

1988年(昭和63年)3月29日 - 財団法人設立認可

1988年(昭和63年)4月17日 - 日本大正村が開村

1989年(平成元年)4月28日 - 大正の館が開館

1990年(平成2年)10月11日 - 山本芳翠記念館が開館

1991年(平成3年)5月28日 - 小川記念館が開館

1991年(平成3年)6月12日 - 大正村明智の森が竣工

1992年(平成4年)4月 - 旧三宅家を移築

1994年(平成6年)5月7日 - 大正ロマン館が開館

2004年(平成16年)5月3日 - 大正時代館が開館

2011年(平成23年) - 大正元年から100周年

2016年(平成28年) - おもちゃ資料館が閉館し大正ロマン館に統合

施設

日本大正村役場 - 1906年(明治39年)竣工[2]木造2階建て。桟瓦葺[2]寄棟造り。外壁は下見板張りであり、木製の上げ下げ窓を有する[2]。6代目の明智町役場として建設され、1957年(昭和32年)まで役場として使用された[2]。その後は商工会議所や集会所などとして使用され、1984年(昭和59年)に日本大正村の構成施設となった[2]。日本大正村の設立経緯などが展示されており、無料休憩所も兼ねている[2]。2000年(平成12年)には国の登録有形文化財に登録された[3][2]。2015年(平成27年)には恵那市景観重要建造物に指定された[4]

日本大正村資料館 - 西棟は1909年(明治42年)竣工、東棟は1918年(大正7年)竣工[2]。西棟は木造3階建て、東棟は木造3階建て(一部4階)[2]。西棟も東棟も瓦葺[2]。内部には手動のエレベーターを有する[2]。明治期のこの地域では養蚕業が盛んであり、生糸を扱う会社が濃明銀行に発展した[2]。これらの建物は濃明銀行の蔵として建設され[2]、農家から預かったり買い取ったりしたを収納していた。2棟を合わせて「銀行蔵」と呼ばれる[2]恵那市指定有形文化財[5]

大正時代館 - 大正天皇や大正時代の庶民の暮らしに関して展示している施設[6]。喫茶店の「カフェー天久」が隣接しており、「カフェー天久」には大正末期から昭和初期に多くの文化人が訪れた[6]

大正ロマン館 - 1994年(平成6年)5月に開館した洋風建築[7]。日本大正村の初代村長である高峰三枝子、日本大正村議会の議長である春日野清隆の記念館である[7]。敷地内にはバラ園があり、毎年6月上旬頃に満開となる[7]山本芳翠の絵画『裸婦』は国の重要文化財[7]。2020年(令和2年)1月11日から2021年(令和3年)2月14日まで、1階にて「麒麟がくる ぎふ恵那 大河ドラマ館」が開館していた[8]。当初は2021年1月11日までだったが「麒麟がくる」の放送期間変更により延長された。


大正村浪漫亭 - 売店・カフェ・レストランを備える複合施設。2016年(平成28年)10月27日にリニューアルオープンした。日本大正村の事務局が置かれている。

逓信資料館 - 1875年(明治8年)竣工。木造2階建、土蔵造。旧郵便局の庁舎を利用した郵政・電信に関する資料館。隣接地に明智郵便局がある。

おもちゃ資料館(閉館) - 東京の骨董市で買い集めたり、各地の収集家から寄贈を受けた大正から昭和初期までのおもちゃ約3,000点の収集の内、一部が随時入れ替えで展示公開されていた。日本大正村の施設としては2016年(平成28年)4月1日閉館[9]。2017年(平成29年)1月には恵那市によって体験型サテライトオフィス「SOZO」に転用された[10]

旧三宅家 - 旗本の明知遠山氏に仕えた三宅家の住居であり[11]、明智町馬木地区にあった[12]。元禄元年(1688年)に5代目の三宅与次郎重正によって母屋が建造されたとされる[11]。近世中期の民家の特徴が残されている[12]。1978年(昭和53年)に明智町指定有形文化財となると、1991年(平成3年)に明智町に寄贈され、1992年(平成4年)春に現在地に復元移築された[11][12]


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