日本大学文理学部(にほんだいがくぶんりがくぶ、College of Humanities and Sciences, Nihon University)は、東京都世田谷区桜上水にある、文学研究科・総合基礎科学研究科(ぶんがくけんきゅうか・そうごうきそかがくけんきゅうか)は文学と基礎科学の理論および応用を教育・研究する大学院の研究科である。略称して、「日大文理(にちだいぶんり)と呼ばれる。 人文系、社会系、理学系の3系統18学科からなる総合学部で、「文理学部」と名が付く学部としては国内唯一のものである。 「文と理の融合」を教育理念に掲げ、教養教育と専門教育の両面から総合的・学際的な教育を行い、かつ高度な専門的研究も行う。また、時代や社会のニーズに応えられる教養教育・語学教育・情報教育の充実を図り、かつ特色ある専門教育により、総合的な学力または専門的な学力を有する人材を養成することを目的としている。 国内外で専門的知識を活かせる意欲ある個性的な学生を育成し、新たな「知」の再構築が求められている現代社会で、ゆるぎない信念と未来への希望を持って「質の高い教育」と「きめ細やかな学習支援」を実現することを目標としている。 教諭、司書、福祉などの資格取得(英語・国語・社会・数学・理科・体育など)とともに教員養成を行っている[注 1][1]。 また日本大学文理学部は宗教系の学科は有してはいないが、新学制による大学設置時に開設されていた文理学部の前身である文学部の宗教学科、倫理学科、哲学科を起源とする哲学科において宗教科の中学校・高等学校教諭1種免許状を取得することが可能である[2]。 電力見える化プロジェクトとして、省エネルギー型キャンパスの構築へ向けた研究が2012年度に学内で採択され、教職員を中心に実用化を進めている[3]。 高等師範科 → 法文学部文学科 → 文学部 → 文理学部と順に改称している。旧・法文学部本館
概要
教育研究上の目的
教育目標
沿革
1889年 - 日本法律学校設立。
1901年 - 日本法律学校に高等師範科を設置。
1903年 - 日本法律学校を日本大学と改称。高等師範科を高等師範部と改称。
1920年 - 大学令による日本大学(旧制)設立認可。法文学部と商学部を置く。専門部と高等師範部に女子の入学許可。
1924年 - 法文学部に文学科を設置。
1926年 - 高等師範部に地理歴史科と英語科を設置。
1929年 - 法文学部文学科に史学専攻を設置。
1937年 - 現在の敷地に大学予科文科世田谷校舎(現在の文理学部1号館)が落成。
1944年 - 高等師範部の募集停止。
1947年 - 高等師範部の募集再開。
1949年 - 新学制による大学(第1部・第2部)設置、専門部・高等師範部募集停止。世田谷教養部設置。
1950年 - 日本大学世田谷高等学校を併置(定時制)。
1951年 - 新学制による大学院を設置。
1956年 - 専門部各科、高等師範部各科廃止。
1956年 - 日本大学人文科学研究所を設置。
1958年 - 文学部に理系の学科を設置し、文理学部と改称。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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