日本共産党の研究
(にほんきょうさんとうのけんきゅう)
著者立花隆
発行日1978年(昭和53年)3月25日、9月
発行元講談社
ジャンル歴史書、評論
国 日本
言語日本語
形態単行本(上・下)、文庫本(1・2・3)
ページ数483(上巻)、610(下巻)
448(1巻)、381(2巻)、362(3巻)
公式サイトbookclub.kodansha.co.jp
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『日本共産党の研究』(にほんきょうさんとうのけんきゅう)は、著述家立花隆が、戦前の日本共産党の歴史について叙述した書籍。日本共産党が強硬に反論・批判したのを始め、国会審議でも採り上げられるなど、さまざまな反響をもたらした。 戦前の日本共産党についての通史。コミンテルンによる支配、資金の出所、組織、特高警察やスパイとの闘い、相次ぐ転向者など、成立のいきさつから戦時下の強大な国家権力による弾圧で党が崩壊するまでの歴史を実証的に追い、理論や主張としてではなく人と事件を中心として書かれた。克明な取材による新事実や、当時の関係者の証言を多数記録した。 日本共産党史上最大のスパイといわれる「スパイM」=飯塚盈延をめぐる長期間の論争(大塚有章、埴谷雄高、松本清張などによる)に決着をつけた。
内容
経緯
1975年(昭和50年)12月発売の総合雑誌『文藝春秋』(1976年(昭和51年)1月号)で連載開始、1933年(昭和8年)のスパイ査問死亡事件が採り上げられた[注釈 1]。以降、1977年(昭和52年)12月号まで連載。多くの人物が取材・資料収集整理に関わるなど、執筆に協力した。このときの同誌編集長は、田中健五、半藤一利。
連載に加筆訂正、単行本化。『日本共産党の研究』(上・下)講談社、1978年(昭和53年)3月25日・9月初版第1刷[1][2]。
1979年(昭和54年)、第1回講談社ノンフィクション賞受賞。
年表を付し文庫本化。『日本共産党の研究』(1・2・3)講談社文庫、1983年(昭和58年)5月・6月・7月初版[3][4][5][注釈 2]。
反論・反響・影響
日本共産党は、戦前の特高警察や検察当局の基礎資料をなによりの材料として、当時特高警察がでっちあげた反共キャンペーンを戦後の日本でむしかえしたものとして、立花を「特高史観」と強く批判した[6]。党機関紙『赤旗』に批判論文がたびたび掲載され、パンフレット化・大量普及もされた。共産党からも当時の資料の公表がされた[6]。
1975年(昭和50年)12月10日、『赤旗』は「古びた反共理論と反動裁判所資料のむしかえし--文春立花隆氏の『日本共産党の研究』なるものの特徴」を掲載。同月22日までのべ4回連載した。
同月11日、同紙は、宮本顕治「スパイ挑発との闘争」(『月刊読売』1946年(昭和21年)3月号初出)を再録。
同月16-18日、同紙は、宮本顕治の公判記録[7]を初めて掲載、発表した。
1976年(昭和51年)1月27日、衆議院本会議において春日一幸民社党委員長が代表質問の中でスパイ査問死亡事件を採り上げた[8]。これに対しては同日の本会議で紺野与次郎が、また1月28日の参議院本会議で沓脱タケ子が、1月30日の衆議院予算委員会で不破哲三がそれぞれ反論・批判した[9][10][11]。