日本体育大学
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設置者については「学校法人日本体育大学」を、学校法人二階堂学園が設置する日本女子体育大学については「日本女子体育大学」を、日大については「日本大学」をご覧ください。
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日本体育大学

世田谷キャンパスの深沢新校舎

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大学設置1949年
創立1893年
学校種別私立
設置者学校法人日本体育大学
本部所在地東京都世田谷区深沢七丁目1番1号
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キャンパス東京・世田谷(東京都世田谷区)
横浜・健志台(神奈川県横浜市青葉区
学部体育学部
スポーツ文化学部
スポーツマネジメント学部
児童スポーツ教育学部
保健医療学部
研究科体育科学研究科
教育学研究科
保健医療学研究科
ウェブサイトhttps://www.nittai.ac.jp/
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日本体育大学(にっぽんたいいくだいがく、英語: Nippon Sport Science University)は、東京都世田谷区深沢七丁目1番1号に本部を置く日本私立大学1893年創立、1949年大学設置。大学の略称は日体(にったい)、日体大(にったいだい)、NSSU(旧略称NCPE)。
概要
歴史「日本体育会発祥之地」碑
成城中・高校敷地内

1891年明治24年)に日高藤吉郎により東京・牛込区原町の成城學校(現・成城中学・高等学校)内に設立された「體(体)育會」(翌1892年に「日本體育會」と改称)を起源とする。

1893年(明治26年)日本體育會體操練習所(当初国民体育「社会体育等」の体育指導者養成を目指すがのちに体育教員養成にも幅を広げる)、日本體育會體操學校(当時の略称?体操学校)(「高等科・高等師範科・女子部高等科」)を経て、専門学校令による日本體育専門學校(本科・師範科・女子師範科)となった。体操練習所時代から教員養成には実績・定評があり、全国からスポーツの指導者・体育教員志望者・スポーツ好き・運動能力の高い受験生が殺到した。

幻となった1940年(昭和15年)東京オリンピックには多くの在校生(日本代表選手・競技役員・補助員「ボランティア」等)の参加が見込まれていたが、戦争の勃発は「敵性スポーツ」を悉く禁止に追い込んだ。いつしか「体育」も「軍事教練」に名を変え、在校生の多くが戦地に倒れていった(戦死學生の碑、日體生「戦死400名弱」-学徒の碑が本部世田谷深沢キャンパス西に有る)。この過去を忘れることなく第二次大戦後の1949年(昭和24年)、「民主体育」をスローガンに日本体育大学が開学した。

日体大はオリンピックと日本で最初に折衝を持った大学としても知られている。體操練習所が開設されたのは、国際オリンピック委員会(IOC)が結成された1894年のちょうど1年前。第2回のオリンピック競技大会がパリで開催されたのは1900年である。その年のオリンピック総会(当時、万国体育会議、今のIOC総会)に、日本代表として招待されたのが日本體育會體操練習所(現日体大)だった。以来、日体大はオリンピックと深い関係を保ちながら日本のスポーツの振興に貢献し、今に至っている。
建学の精神

建学の精神に創設者日高藤吉郎による「全国民が強健な体力を保持しなければ、国家の発展は望めない。」との信念を持つに至り「體育富強之基」(たいいくふきょうのもとい)を掲げている。

国民体育の振興、真に豊かな国家・社会を実現するため、体育・スポーツの普及・発展を積極的に推進し、健全な心身を兼ね備えた全人格的な人間を育成することを建学の理念としている。そのような校風は、「質実剛健・団結和協」「知徳兼修・体育奉公」と校歌の詞にも謳われている。校歌は、日本を代表する作曲家呉泰次郎(ごうたいじろう)が作曲し、国文学者の近藤忠義が作詞した。現在の校歌は、知徳兼修・体育奉公の2番・4番は割愛され、1番・3番を1・2番として歌われている。

日体スピリット(日体魂)「チャンス(Chance)の像」(1954年-昭和29年建像)の云われ、世田谷深沢キャンパス正面左側に競技者の銅像がある。ちょうどラガーメンが前方の体育館にパスをしようとしているシーンを表現したもののようである。この像はチャンスと命名(命名者は初代学長 栗本義彦)されている。「ポイントゲッターになるよりも、チャンスメーカーになれ」、「トライゲッターであるよりも、チャンスメーカーたれ」という言葉はラガーマンのためのキャッチフレーズだが、ラグビー以外のスポーツウーマン・スポーツマン一般(ラグビー部員以外一般学生)生にも当てはめた標語を通して、日体大が目指そうとしている教育理念を表明しょうとしたものである。真のチャンスメーカーに徹する生き方こそが日体スピリット(日体魂)である。※大学案内要綱一部抜粋、元日本体育会総裁閑院宮載仁親王直筆の建学の精神「體育富強之基」の額と肖像画が本部世田谷深沢キャンパスに掲げられている。
教育および研究

日本の中核をなす体育スポーツ科学 (Sport Science) の専門大学という位置づけにあり、その歴史(体育大学系・スポーツ学科系で最古)の中で、数多くのオリンピック代表選手、世界選手権代表選手、体育教諭(スポーツ指導者「監督・コーチなど」)、養護教諭、更にはスポーツ科学者(スポーツ研究家)を輩出している名門体育大学、近年は国際的に活躍する指導者の育成にも力を入れている。

伝統的に保健体育の教員養成(養護教諭を含む)を目的としていることもあり、同校出身のプロスポーツ選手[1] は他大学と比較しても多くはない。むしろ、プロ組織を持たない比較的マイナーなアマチュアスポーツにおいて世界レベルの選手を数多く育成しており、日本スポーツ界の底上げを担っている。2012年ロンドンパラリンピックにおいては、井田朋宏・石田直章・江黒直樹など監督・コーチとして8名の卒業生が参加した。

2012年ロンドンオリンピックにおいては選手23名(日本のメダル獲得数38個の内の10個獲得[2])、2008年北京五輪においては26名、2006年アジア競技大会カタールドーハ大会)においては51名の選手を輩出している。1912年(大正元年)スウェーデンストックホルムオリンピック初出場から第29回北京オリンピックまでの日本代表選手団のメダル獲得数の4分の1を日体大(在校生・学部院卒業生)関係者が獲得している。その実績などから実技の日体大(体育・スポーツ「科学」の日体)と云われる所以は今なお受け継がれている。

東京・世田谷キャンパスは「体育・スポーツ科学の総合大学」にふさわしい都市型・高度情報型キャンパスに再開発(2011年完成)され、これに伴い教育・研究カリキュラムの抜本的な改革に着手している。世田谷キャンパスの設計は久米設計により行われた。


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