日本体育大学女子サッカー部
原語表記日本体育大学学友会女子サッカー部/日体大SMG横浜
愛称S日体大
クラブカラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 青
創設年1985年
所属リーグ日本女子サッカーリーグ
関東大学女子サッカーリーグ
所属ディビジョン(記事中を参照)
ホームタウン神奈川県横浜市青葉区
ホームスタジアム日本体育大学健志台グラウンド
代表者矢野晴之介
監督大槻茂久
公式サイト公式サイト
日本体育大学女子サッカー部(にっぽんたいいくだいがく・じょしサッカーぶ)は、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)及び関東大学女子サッカーリーグ1部、関東女子サッカーリーグに所属する女子サッカーチーム。大学の略称は日体(にったい)または日体大(にったいだい)。 明治24年日本体育会が起源、その後日本体育会体操練習所、日本体育会体操学校、日本体育専門学校、日本体育大学と変遷。体育学部・児童スポーツ教育学部・保健医療学部を要している体育(スポーツ)系の総合大学である。日体大横浜・健志台キャンパス(神奈川県横浜市青葉区)を拠点とする。サッカー部創部は古く不詳、過去の名称日本体育大学学友会蹴球部。しかし創部年度を昭和29年(1954年当時は男子のみ)としている。のち昭和60年(1985年)女子部を併設する。女子部の併設年度は記録として残っている。オリンピックでのサッカー種目採用はアトランタオリンピック(1996年)が初めてなので、それを考えると創部はかなり古い。卒業後は実業団にも就職するが、概ね指導者(体育教員・養護教員
歴史
大学女子サッカー界の草分けで、「女子の天皇杯」と呼ばれる皇后杯 JFA 全日本女子サッカー選手権大会に10回出場の名門で、全日本大学女子サッカー選手権大会18回(前身の全国大学女子サッカー大会での優勝4回を含むと22回、史上最多)、関東大学女子サッカーリーグ(1部)18回(史上最多)、関東女子サッカーリーグ(1部)3回、なでしこリーグ(2部)1回の優勝を誇る。
全日本大学女子サッカー選手権大会で1995年から4年連続優勝という実績により、1999年には実験的措置ではあるが日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に加入した。しかし「卒業による主力選手の退団」という学生チームゆえの世代交代の時期にあたっていたためL・リーグを戦い抜く戦力は残っておらず、前期にわずか1勝しかあげられなかったため1999年シーズンのみで脱退したが、このとき所属していた選手のうち青木知里と田代久美子が、のちにL・リーグ入りした。
現在、日本女子サッカー界において、在学中から日本女子代表「なでしこジャパン」に選ばれた丸山桂里奈(スペランツァFC大阪高槻/アテネオリンピック・北京オリンピック・ロンドンオリンピック代表・2011年W杯優勝メンバー)と川澄奈穂美(INAC神戸レオネッサ・2011年W杯優勝メンバー・ロンドンオリンピック代表)などが活躍している。また、2010年度からはプレナスチャレンジリーグEASTにも所属し、L・リーグ時代から11年の時を経て日本女子サッカーリーグに復帰した。その他、2軍であるサテライトチームが神奈川県女子サッカーリーグに所属している。