日本ロマンス旅行
監督定山渓班 近江俊郎
札幌班 石井輝男
会津若松班 毛利正樹
下田班 小森白
修善寺班 小野田嘉幹
京都班 山田達雄
大阪班 中川信夫
宮島班 加戸野五郎
長崎班 土居通芳
高知班 曲谷守平
脚本岡戸利秋
『日本ロマンス旅行』(にっぽんロマンスりょこう)は、新東宝が1959年(昭和34年)に製作・公開した、近江俊郎、石井輝男、中川信夫ら10人の監督による日本のオムニバス劇映画である[1]。
略歴・概要が脚色し、大蔵の実弟の歌手・近江俊郎が総監督の立場で、10篇のオムニバスをまとめた[1]。日本の古今の歴史上の人物、架空の人物が登場する劇映画である。1959年(昭和34年)に製作され、同年6月19日に公開された[1]。
ヴォードヴィリアンの由利徹と南利明が、新東宝を自らパロディにした「新東京映画」の「大楽所長」と「北田副所長」を演じ、『東海道中膝栗毛』の「弥次さん喜多さん」のような狂言回しとして、各篇を紹介する[1]。舞台になるのは、定山渓、札幌、会津若松、下田、修善寺、京都、大阪、宮島、長崎、高知の10か所である[1]。
この作品は新東宝の後身会社・国際放映が著作権などを新東宝から継承しておらず、2018年現在の権利保有者は不明である。「国際放映」も参照 大蔵貢社長の「企画第一主義」と「安く早く」のモットーに則った製作体制だった。十話構成の内容で、一話を二日で撮り上げるという撮影日程だった。 空前の大ヒットとなった『明治天皇と日露大戦争』の二番煎じ、三番煎じ企画であり、すっかり「天皇役者」になってしまった嵐寛寿郎は本作で「仁徳天皇」役をつとめている。 アラカンの出番は中川信夫担当話だが、大蔵社長自らの企画だけに現場での意気込みも高く、撮影現場にたびたび介入。アラカンは「これも不敬に当たりますけど、アホらして演っておられまへん、大蔵はん撮影にやってくる、中川監督差し置いていちいちダメを出す。もう一人、総監督の近江俊郎はん、監督三人や」と撮影の様子を語っている。アラカンは「そもそも天皇・皇后の衣装は文献も何もおへん。これも高倉みゆき、スケスケ・ルックを着せよるんですわ」と呆れかえっている [2]。
エピソード
スタッフ・作品データ
監督 : 定山渓班 近江俊郎、札幌班 石井輝男、会津若松班 毛利正樹、下田班 小森白、修善寺班 小野田嘉幹、京都班 山田達雄、大阪班 中川信夫、宮島班 加戸野五郎、長崎班 土居通芳、高知班 曲谷守平
脚本 : 岡戸利秋
撮影 : 岩崎秀光
照明 : 守田芳彦
音楽 : 渡辺宙明
製作・原作 : 大蔵貢
企画 : 小野沢寛
製作 : 新東宝
フォーマット : フジカラー - 新東宝スコープ(2.35:1) - モノラル録音
キャスト
由利徹 - 大楽
南利明 - 北田
細川俊夫 - 黒田清隆
ユセフ・オスマン - ウィリアム・クラーク博士
宇津井健 - 僧定山
大空真弓 - セトナ
御木本伸介 - ドカニ
並木一路 - アイヌの老人
伊達正三郎 - 篠田儀三郎
北沢典子 - 中野優子
若杉嘉津子 - 姉竹子
茂呂弘 - 林八十治
小松俊輔 - 永瀬勇次
浅見比呂志 - 石田和助
佐伯一彦 - 野村駒四郎
小畑絹子 - 唐人お吉
中村竜三郎 - 鶴松
ユセフ・トルコ - ハリス
高田稔 - 伊佐新次郎
片岡彦三郎 - 源頼家
林寛 - 夜叉王
三ツ矢歌子 - 娘桂
星輝美 - 娘楓
明日香実 - 春彦
橋爪譲二 - 下田五郎
明智十三郎 - 織田信長
天知茂 - 明智光秀
和田桂之助 - 森蘭丸
小林重四郎 - 安田作兵衛
嵐寛寿郎 - 仁徳天皇
高倉みゆき - 皇后
坂東好太郎 - 重臣
畑爽 - 民衆のA
国創典 - 民衆のAの父
五月藤江 - 民衆のAの母
天城竜太郎 - 源義朝
舟橋元 - 平清盛
池内淳子 - 常盤御前
津路清子 - 常盤御前の母関屋
高倉みゆき - 蝶々夫人
ロイ・ジェームス - ピンカートン
ユセフ・ヘデイシャ - ピンカートンの妻
中島マリ - 子供
由利徹 - 定珍和尚
万里昌代 - おうま
菊地双三郎 - 岡っ引
三原葉子 - スチュアーデス
山村邦子 - スチュアーデス
ギャラリー
定山渓温泉。
クラーク博士。
白虎隊。