日本ラグビーフットボール選手権大会
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日本ラグビーフットボール選手権大会前回大会:
第58回日本ラグビーフットボール選手権大会

第55回大会決勝戦
秩父宮ラグビー場 2018年1月13日撮影)
競技ラグビー
開始年1960
終了年2021
主催日本ラグビーフットボール協会
チーム数4(2021年度:トップリーグプレーオフ準決勝進出チーム)チーム
加盟国 日本
前回優勝パナソニック(6回目)
最多優勝神戸製鋼(10回)
公式サイト
トップリーグ2021プレーオフトーナメント
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日本ラグビーフットボール選手権大会(にほんラグビーフットボールせんしゅけんたいかい)は、日本ラグビー協会が主催していたラグビーユニオン日本選手権大会

2021年5月の第58回大会で幕を閉じた[1]。2022年以降のリーグワンのプレーオフトーナメントは、日本ラグビー協会から独立した運営のため、日本選手権ではない。
概要

ラグビーの日本一を決める選手権試合のため、日本のラグビーシーズンの締めくくりのイベントとして開催されていた。

長きにわたって社会人チーム1位と大学チーム1位が対戦する形式で行われてきた(このときは開催日が1月15日=当時の成人の日=で固定されていた)。

第35回(1997-98シーズン)以降(第53回(2015-16シーズン)を除く)は、社会人と大学などから複数チームが参加するトーナメント形式となった。

第55回(2017-18シーズン)からは、トップリーグの順位決定トーナメントを兼ねて行われることになり、大学チームの参加がなくなった(後述)。

2021年5月、トップリーグ最終年となり、トップリーグプレーオフトーナメント準決勝・決勝が第58回日本選手権を兼ねて行われ、これを最後に日本選手権は開催されていない[1]
出場枠及び大会形式

出場枠は2018年-2019年シーズンのもの

トップリーグのレギュラーシーズン成績上位8チーム(レッドカンファレンス、ホワイトカンファレンスの各上位4チームずつ)のうち準決勝に勝ち上がってきた上位4チームのトーナメントで優勝を決定する。80分で決着がつかない場合はサドンデス方式の前後半5分ハーフの延長戦、それでも勝敗が決まらない場合はキッキングコンペティションで勝者を決定する。

2017-18・18-19・21シーズンは、トップリーグプレーオフ優勝決定トーナメントが、日本選手権を兼ねて行われることになり、優勝クラブがトップリーグと日本選手権の2つのタイトルを同時に獲得する権利が与えられていた。

沿革
開催までの流れ

1960年 - 61年シーズンに日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会(以下、NHK杯)として開催されたのが当大会のルーツである。NHK杯が行われるきっかけとなったのは、1948年度より全国社会人ラグビーフットボール大会(以下、全国社会人大会)が行われていたものの、当時、社会人ラグビーは関係者以外はほとんど関心が寄せられていなかったという背景があった[2]

一方、大学ラグビーも、「全国制覇」を決する大会としては、対抗戦形式による東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦(以下、東西対抗ラグビー)が行われており、第二次世界大戦前後においては人気を博していたが、昭和30年代に入ると、第二次世界大戦前より強豪だった大学(俗に『伝統校』と呼ばれた)と、同大戦後に台頭してきた大学(俗に『新興校』と呼ばれた)との間における対抗戦が設けられていなかったという制度上の問題に起因して、「不戦につき優勝チームなし」というケースが続発したことから、社会人ラグビーほどではないにせよ、こちらも人気低迷に喘いでいた。
日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会

そこで、当時としては「夢の対戦」ともいうべき、社会人の王者と学生の王者が対戦する機会を設ける大会を行うことになり、1961年1月29日秩父宮ラグビー場(以下、秩父宮)で第一回のNHK杯が開催されることになった。

第1回は、全国社会人大会で2度目の3連覇を達成した八幡製鐵(以下、八幡)が社会人の代表として出場。しかし、学生側は、関東大学ラグビー対抗戦(以下、関東対抗戦)1位の日本大学(以下、日大)と、関西大学ラグビーフットボールリーグ(以下、関西リーグ)で優勝した同志社大学(以下、同志社)が、東西対抗ラグビーでの対戦がなかった(不戦)ため、開催地が秩父宮であることや、日程上の問題を考慮して日大が招待されることになった。この試合は、土屋俊明の引退試合となった八幡が日大を圧倒し、初代優勝チームとなった。

第2回は、1962年3月4日花園ラグビー場(以下、花園)で開催され、社会人側は八幡の全国社会人大会4連覇を阻んで優勝した近鉄が出場。大学側は、関東対抗戦1位となった慶應義塾大学を、東西対抗ラグビーで破った同志社が招待された。当時1年の坂田好弘らの活躍により、同志社が17?6で近鉄を破った。

第3回は、1963年3月3日に秩父宮で行われた。社会人側は2年ぶりに全国社会人大会を制した八幡が出場。大学側は、全国制覇認定されなかったものの、関西リーグ優勝の同志社を東西対抗ラグビーで破った関東対抗戦Aブロック1位の明治大学(以下、明治)が招待されたが、八幡が明治を25?6で破り、2度目の優勝を飾った。
第1回開催

1964年2月8日、日本協会と関東ラグビーフットボール協会(関東協会)は、1964年度のシーズンより、トーナメント方式による全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)を開始すると表明し、東西対抗ラグビーは1963年度限りで廃止されることになった。

そんな中、当大会の名称に改題したうえで、NHK杯で行われていた招待制方式を改めることも決まったが、大学代表は東西対抗ラグビーでの不戦が相次ぎ、参加チームを1チームに絞れなかったことから、関東大学優秀校の法政大学と、関西大学優秀校の同志社大学の2校が出場することになった。よって、社会人代表も、当回のみ、全国社会人大会優勝の八幡製鉄のみならず、同2位の近鉄も参加することになり、実質的に招待制を踏襲した形となった。そして第一回は、1964年3月20日と22日の2日間の日程で、花園で開催されることになり、1回戦で八幡製鉄を破った同志社が、同じく法政を破った近鉄を下し、初代当大会優勝チームとなった。
第2回以降 - 成人の日開催に、大学と社会人の王者対決

第2回(1964-65シーズン)秩父宮ラグビー場での開催から、大学側は同年度より開始された大学選手権の優勝チームが出場することになったため、社会人側も全国社会人大会の優勝チームだけが出場することになり、以後、大学トップと社会人トップとのワンマッチ形式は、第33回(1995-96シーズン)まで続いた。また、毎年1月15日(当時の成人の日)の開催となったことから、以後、第32回(1994-95シーズン)までの31年にわたり、新成人が晴れ着姿で観戦するなど、風物詩のひとつとなった[3][4][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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