「日本ボクシング連盟」あるいは「日本プロボクシング協会」とは異なります。
一般財団法人日本ボクシングコミッション
Japan Boxing Commission
東京本部事務局が入居する後楽園ホールビル
創立者田邊宗英、本田明
一般財団法人日本ボクシングコミッション(にほんボクシングコミッション、英:Japan Boxing Commission、JBC)は、日本においてプロボクシング競技を統轄する機関。1952年4月21日に設立された。世界ボクシング協会(WBA)・世界ボクシング評議会(WBC)・国際ボクシング連盟(IBF)・世界ボクシング機構(WBO)・東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)に加盟している。
なお本項ではWBA、WBC、IBF、WBOを総称として「主要4団体」とする。 1935年までには、田邊宗英を会長とする帝国拳闘協会
歴史
設立以前
その後、1952年に日本ボクシングコミッション(JBC)が設立するまで、ジムの経営者の集まりによって日本のプロボクシングは管理されることになった。1951年5月に、当時世界フライ級王者だったダド・マリノ(アメリカ)が来日し、白井義男(日本)と対戦。試合はマリノが10R2-1の判定勝ちをおさめたが、白井の健闘ぶりに世界王座挑戦が具体化し、コミッション設立が企画されるようになった。そして、当時あった全日本ボクシング協会で協議が重ねられ、当時後楽園スタヂアム(現・東京ドーム)社長だった田邊宗英がコミッショナーとして、諮問委員には当時後楽園スタヂアム副社長だった真鍋八千代、当時衆議院議員だった喜多壯一郎の二人が推薦された。推戴式の前に内々に田邊に話は通し、推戴式が開催された[2]。 1952年4月21日に、「コミッショナー制」という世界のプロボクシング興行における原則に従い、日本におけるプロボクシング統括機構として設立された。同日東京会館別館において、「日本ボクシングコミッショナー推戴式」が行われ、当時の東日本ボクシング協会の理事長であった本田明が田邊宗英[注釈 1]をコミッショナーに推薦した。 1956年3月、浅草公会堂の試合を最後にJBCに無届の草試合が禁止されると[3]、事実上の「1国1コミッション制」が形成され、後にJBCルールの「宣言」(現在は「前文」)に「(財団法人)日本ボクシングコミッション(JBC)は昭和27年(1952年)4月21日、日本プロボクシング協会の推載により日本で行われる全てのプロ・ボクシングを統轄するために1国1コミッションの方針のもとに設立された」などと盛り込まれるようになっていった[4]。 設立時よりWBA(当時は全米ボクシング協会(NBA))に加盟。
設立後
1963年にWBCに、OBF(東洋ボクシング連盟)を通じて加盟[5][6][7]。