日本ペンクラブ
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一般社団法人日本ペンクラブ
設立1935年11月26日
種類一般社団法人
法人番号1010005006115
法的地位一般社団法人及び一般財団法人に関する法律
目的言論の自由表現の自由、出版の自由の擁護と、文化の国際的交流の増進
本部 日本
東京都中央区日本橋兜町20番3号
会員数著作家による(2019年12月1日現在1492人[1]
公用語日本語
会長桐野夏生
 上部組織国際ペンクラブ
ウェブサイト ⇒japanpen.or.jp
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一般社団法人日本ペンクラブ(にほんペンクラブ)は、国際ペンクラブの日本センターであり、日本文筆家で構成される法人。以前は外務省所管だった。

創作活動やジャーナリストなどによって組織され、言論の自由表現の自由、出版の自由の擁護と、文化の国際的交流の増進を目的とするNGOである[2]
概説

日本ペンクラブは、その団体としての性質を、次のように説明している。 国際P.E.N.は、文学・文化に関わる表現とその普及にたずさわる人々が集まる唯一の国際組織です。創立は1921年にさかのぼります。

 日本ペンクラブはその日本センターとして、「国際P.E.N.憲章」に基づき、「文学の普遍的価値の共有」「平和への希求と憎しみの除去」「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念として活動してきました。

 国際P.E.N.も日本ペンクラブも設立の背景には、戦争に対する危機感がありました。戦争に至る社会と世界は、いつ、どこにおいても味方と敵を作りだし、生命と人権を軽んじ、言論・表現の自由を抑圧する――そのことを身に沁みて知った文学者たちが、国境と言語、民族と宗教の壁を越えて集まったのが始まりです。 私たちは文学と文化的表現に立脚しながら、あらゆる戦争に反対します。いかなる国の核兵器と核実験も容認しません。そして、生命と人権、言論・表現の自由を守るための活動をつづけています。 ? 日本ペンクラブ、 ⇒日本ペンクラブとはより
会員資格

元来は前述のPENいずれかに該当する者を対象としていたが、近年では以下のような職業を対象としている[2]

「平和の希求」と「言論・表現の自由の追求」という理念への賛同を必須としている[2]
P会員

詩人、俳人、歌人、脚本家、劇作家、放送作家[2]
E会員

エッセイストや編集者など以前の対象者に加え、翻訳家、学識経験者、学者、記者、ジャーナリスト、評論家、漫画家、映画監督、放送番組制作者、俳優、演出家、画家、装幀家、デザイナー、写真家、書店・図書館・美術館・博物館等の学芸員や専門職員などを対象としている[2]
N会員

小説家に加え、ノンフィクション作家、インターネット上で活動する作家を対象としている[2]
組織

所在地:
東京都中央区日本橋兜町20番3号

会長(代表理事):桐野夏生

副会長:今野敏、山田健太

専務理事:郡司聡

常務理事:沼野充義、佐藤アヤ子、徳永真、野上暁

理事:35名 - 40名以内

監事:3名以内

沿革

1935年11月26日国際ペンクラブの春からの要請を受け、外務省文化事業部の課長・柳澤健(詩人でもあった)が文壇に呼びかけて国際ペンクラブの日本センターとして創立。初代会長は島崎藤村。他に正宗白鳥徳田秋声などが参加。

第二次世界大戦中は活動休止の状態であったが、1947年に再建。国際ペンクラブにも復帰。

1957年9月、「東西文学の相互影響」をテーマとした東京京都での国際ペン大会を主催。

1958年、ソ連政府ボリス・パステルナークのノーベル文学賞授与を辞退させた際、日本ペンクラブはソ連政府よりの姿勢をとり、平林たい子エドワード・G・サイデンステッカーらが、それを批判した[3]。1959年に来日したアーサー・ケストラーも、日本ペンクラブの姿勢を批判した[4]

1965年、創立30周年を記念し、創立記念日(11月26日)が「ペンの日」に定められる。

1970年には韓国での国際ペン大会・台湾でのアジア作家会議に対するペンクラブの行動に抗議して、松岡洋子理事・小田切秀雄大江健三郎が脱会。1972年にはペンクラブ主催の日本文化研究国際大会開会式に皇太子を呼んだ事への批判から、柴田錬三郎佐野洋松本清張梶山季之城山三郎正木ひろしが脱会した。

1974年にはペンクラブを代表して藤島泰輔白井浩司朴正煕独裁政権下の韓国を訪問、金芝河への死刑判決を「文学活動ではなく、政治活動によるもの」とコメントした。この発言に抗議して7月24日有吉佐和子理事は、「ペンクラブは序列の厳しいところで、理事といっても名前ばかりで権限はない」と断った上で、個人の発言ではなくてペンクラブ代表の発言としてこのような発言をされたなら心外だと脱会を宣言。7月30日には司馬遼太郎理事も脱会を表明。これに瀬戸内晴美水上勉立原正秋が続いた。安岡章太郎阿川弘之理事も、藤島と白井の訪韓にゴーサインを出したのは失敗だったとして理事辞任の意向を漏らし、遂には芹沢光治良会長も辞任に追い込まれる事態となった。

この「藤島・白井事件」以降、野坂昭如五木寛之三好徹ら23人が集団入会、1977年の理事選挙では進歩的と呼ばれる作家が執行部の多数を占めたが、これに対し保守的な立場から「政治的に徒党を組んだ者たち」に乗っ取られたとの批判が噴出。小山内高行・黛敏郎村松剛が脱会する事態に至った。

1984年5月、「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのか」をテーマとし、東京では2度目の国際ペン大会を主催[5]。ゲストとしてロブ=グリエ巴金ヴォネガット等が招かれた。このテーマには、政治的活動をしないというペン憲章に違反しているとの理由で理事の江藤淳が反対し、大江健三郎と論争になった。

思想・良心の自由の徹底した擁護を訴え、また表現の自由に関わる知る権利を擁護する立場から国家機密法などにも反対する声明を出している。

2010年9月、「環境と文学 ―いま、何を書くか―」をテーマに、東京で3回目の開催となる国際ペン東京大会2010を主催した[6]

井上、阿刀田、浅田、吉岡、桐野と直近5代の会長は、ミステリ、SF、ホラー、ユーモア小説、ノンフィクションなど戦後伸張してきたタイプの娯楽文芸分野で実績を築いてきた作家が続いており、純文学作家か評論家が代表を務めることの多かった同団体としては傾向が一変した。それ以前には存在しなかった直木賞受賞作家の会長が5人中4人を占めている。

2021年5月25日桐野夏生が第18代会長に選出され、女性初の会長となった[7][8]


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