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明治安田Jリーグ
Meiji Yasuda J.League
今シーズン・大会:
2024年のJリーグ
前身日本サッカーリーグ(JSL)
競技サッカー
創立1991年11月
代表 野々村芳和(チェアマン)
開始年1993年
参加チーム60(J1:20、J2:20、J3:20)
国内カップ戦JリーグYBCルヴァンカップ
国 日本
連盟アジアサッカー連盟(AFC)
前回優勝J1:ヴィッセル神戸
J2:FC町田ゼルビア
J3:愛媛FC
最多優勝J1:鹿島アントラーズ(8回)
J2:北海道コンサドーレ札幌(3回)
J3:ブラウブリッツ秋田(2回)
参加資格Jリーグクラブ
ライセンス制度参照
テレビ局特記事項参照
スポンサー#協賛団体参照
公式サイトJリーグ.jp
日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、英: Japan Professional Football League)は、日本のプロサッカーリーグ。略称はJリーグ[注釈 1](ジェイリーグ、英: J.LEAGUE)。公益財団法人日本サッカー協会(JFA)傘下の公益社団法人日本プロサッカーリーグが主催する。
明治安田生命保険とタイトルパートナー契約を結んでおり、「明治安田Jリーグ」と称している。 1993年に10クラブで開始し[注釈 2]、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年から「Jリーグ ディビジョン1」(現:J1リーグ/J1)と「Jリーグ ディビジョン2」(現:J2リーグ/J2)[注釈 3]の2部制に移行、2014年に「J3リーグ」(J3)が創設され3部制に移行した。J3リーグは日本サッカーのリーグ構成上、アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ(JFL)と同格と位置付けられており、J1・J2とJ3とでは参加要件やスタジアム規定等の面において差別化が成されている[注釈 4]。 2024年シーズン開始時点で、日本国内の41都道府県に本拠地を置く60クラブ(J1・J2・J3各階級とも20ずつ)が参加[注釈 5]、また、JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが4クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。 アジアサッカー連盟(AFC)主催のクラブコンペティション(AFCチャンピオンズリーグなど)にはJ1リーグの上位に出場権が与えられている。2024年シーズンの結果に基づく出場枠については、基本的にJ1リーグの上位3クラブ(前年のAFCクラブコンペティションの結果により変動あり)がAFCチャンピオンズリーグエリートに出場する[4]。 Jリーグでは、次の3つの理念を掲げている[5]。 また、次の内容の活動方針を掲げている[5]。 この活動方針は、Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる[6]。 Jリーグでは地域密着の観点の方針としてクラブ名称を原則として、「地名+愛称」としており、運営母体となった企業名等は発足当初から原則排除している。ただし、リーグ開幕前に行われた1992Jリーグヤマザキナビスコカップならびに開幕当初の一部報道、並びに日本サッカー協会に登記した正式チーム名では、「読売日本サッカークラブ(読売ヴェルディ)」(ヴェルディ川崎)、「三菱浦和フットボールクラブ」(浦和レッドダイヤモンズ)、「東日本JR古河サッカークラブ(ジェフユナイテッド)」、「全日空佐藤工業サッカークラブ(ASフリューゲルス)」、「パナソニックガンバ大阪」(ガンバ大阪)、「日産FC横浜マリノス」(横浜マリノス)といった運営母体の企業名を含めた表記を行っていた。 このことについて、Jリーグ初期のころ、初代チェアマン・川渕三郎と、企業名重視を訴えた読売新聞主筆・読売巨人軍会長などを歴任した渡邉恒雄が対立した「川渕・渡邉論争」という問題が起きた。渡邊は「Jリーグの理念は空疎だ」として、企業名を排除し、地域名を重視するのは現実離れしていると主張したもので、実際1994年のゼロックススーパーカップまでは読売新聞系メディアではヴェルディ川崎を「読売ヴェルディ(川崎)」と企業名を出して報道していた。この「川渕・渡邉論争」について、川淵は「あの論争があったからJリーグの理念が世間に広まった。今は感謝の気持ちしかない」と述べている[7]。 日本におけるサッカー競技は、アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に創設され[出典 1]、1968年の日本代表のメキシコ五輪銅メダル獲得もあり、一時的に人気を得たが[出典 2]、その後の日本代表の成績不振もあり、長らく観客動員は低迷した[出典 3]。1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ×日産自動車は観客を集めたものの[出典 4]、総じて日本リーグの人気は停滞し、マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった[出典 5]。
概説
理念と活動方針
日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進
豊かなスポーツの振興および国民の心身の健全な発達への寄与
国際社会における交流および親善への貢献
フェアで魅力的な試合の開催
スタジアム環境の確立
地域交流の推進
フットサルの普及
サッカー以外のスポーツの推進
障がい者スポーツの推進
クラブ名称表記
設立経緯「オリジナル10#選定の経緯」も参照
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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