日本ファルコム
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日本ファルコム株式会社
NIHON FALCOM CORPORATION
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証グロース 3723
2003年12月2日上場
略称ファルコム、Falcom
本社所在地 日本
190-0012
東京都立川市曙町2丁目8番18号
東京建物ファーレ立川ビル3階
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分2.8秒 東経139度24分51.5秒 / 北緯35.700778度 東経139.414306度 / 35.700778; 139.414306座標: 北緯35度42分2.8秒 東経139度24分51.5秒 / 北緯35.700778度 東経139.414306度 / 35.700778; 139.414306
設立2001年11月1日
業種情報・通信業
法人番号2012801004044
事業内容ゲームソフトウェアの企画・開発・制作、関連商品・ライセンスの販売、音楽・映像作品の制作
代表者代表取締役社長 近藤季洋[2]
資本金

1億6413万円
(2023年9月30日現在)[2]
発行済株式総数

1028万株
(2023年9月30日現在)[2]
売上高

単独: 24億7358万4000円
(2023年9月期)[2]
営業利益

単独: 13億2882万3000円
(2023年9月期)[2]
経常利益

単独: 13億4438万7000円
(2023年9月期)[2]
純利益

単独: 9億1134万3000円
(2023年9月期)[2]
純資産

単独: 95億3252万7000円
(2023年9月30日現在)[2]
総資産

単独: 101億2831万6000円
(2023年9月30日現在)[2]
従業員数

単独: 65人
(2023年9月30日現在)[2]
決算期9月30日
会計監査人三優監査法人[2]
主要株主

日本ファルコムホールディングス 40.46%

加藤正幸 11.18%

加藤圭 4.85%

加藤翔 4.81%

五味大輔 4.66%

KOREA SECURITIES DEPOSITORY - SAMSUNG 4.07%

STATE STREET BANK AND TRUST COMPANY 505103 1.75%

NORTHERN TRUST CO. (AVFC) RE NON TREATY CLIENTS ACCOUNT 1.73%

石川三恵子 1.45%

NOMURA PB NOMINEES LIMITED OMNIBUS-MARGIN (CASHPB) 1.44%

(2023年9月30日現在)[2]

関係する人物

加藤正幸(創業者、取締役会長)

石川三恵子(取締役)

谷逸平(社外取締役、工画堂スタジオ代表取締役社長)

石原彰生(社外監査役、呉ソフトウエア工房代表取締役)

外部リンクhttps://www.falcom.co.jp/
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日本ファルコム株式会社(にほんファルコム、: NIHON FALCOM CORPORATION[3])は、ゲームソフトを開発・販売する日本の企業。主な作品にドラゴンスレイヤーシリーズイースシリーズ英雄伝説シリーズがある。
概要

1981年(昭和56年)3月に創業した[4]。2001年(平成13年)にゲームソフトの企画、制作、開発及び販売業務を分割し、現法人とする。2003年(平成15年)12月には東京証券取引所マザーズに上場した[5][6]

創業者は現会長の加藤正幸。社名は『スター・ウォーズ』に登場した「ミレニアム・ファルコン号」からの着想で、「ファルコン」の語尾に当時コンピュータ開発関係の社名として称されることが多かった「com」を合成したもの[7]。元はApple Computerの代理店であった[8]

日本のパソコンゲームの黎明期である8ビットパソコンの時代からのメーカーである。長らく非成人のパソコンゲームを中心に扱うメーカーであり、1980年代から2000年代中盤までの作品は、他社へのライセンス供給により家庭用ゲーム機に移植されていた。ライセンス提供作品の開発も原則として当社以外が担当することが多かったが、1987年に『ドラゴンスレイヤーIV ドラスレファミリー』のファミリーコンピュータ版(発売・販売元はナムコ)が初めての家庭用ゲーム機向け自社開発作品であり、1991年から1995年までセガ・エンタープライゼスとの合弁セガ・ファルコムを設立し、メガドライブメガCD用タイトルを同社からの発売(開発元:ファルコム・販売元:セガ)で展開した。1995年にサードパーティーとしてスーパーファミコンPCエンジンにごく短期間参入し、それ以降は他社へのライセンス供給を中心とする戦略に出戻ったが、2000年代後半にPlayStation Portable(PSP)へ参入し、以降は家庭用ゲーム機向けが中心となっている。

ゲームミュージックにも注力しており、加藤が考えた“ファルコム音楽3原則”「一度聴いたら忘れられない、思わず口ずさんでしまうメロディ」「ここぞというところに、グッとくるサビ」「起承転結が感じられる構成」が楽曲作成のベースとなっている[9][10]。1988年には自社のゲームミュージック作品専用レーベルとして「ファルコムレーベル」を発足させた[8]

ゲームを起動すると紫色・黄色・黄緑色・水色の四角形からFalcomのロゴに変化するムービーは、当時正社員であった新海誠のデザインである[11]
沿革
1980年代

日野自動車システムエンジニアであった加藤正幸がタイ駐在中に出会ったApple IIに衝撃を受け[12]脱サラ後の1981年(昭和56年)3月にコンピューター導入時のアドバイザー企業として創業。同年7月より東京都立川市でアップルコンピュータの代理店コンピューターランド立川を開設する[8]

1982年(昭和57年)より、PC向けソフトの制作・販売をはじめる。最初にリリースしたPCゲームソフトは、同年6月に発売された『ギャラクティック・ウォーズ1』であり、本作は以降多数のヒット作を手掛ける木屋善夫の処女作だった[8][13][14]。当時、木屋はまだファルコムに入社しておらず、コンピューターランド立川に入り浸る常連客だったが、木屋は次第に自作のゲームソフトを持ち込むようになり、これを加藤がディスプレイやプリンターなどと物々交換することで引き取り、店頭販売していたというエピソードがある[15]。当初のファルコムはシミュレーションゲームシューティングゲームゴルフゲーム・アドベンチャーゲーム西洋占星術ソフト・ワープロソフトさらにはアダルトゲームも制作・販売しており、特定ジャンルへの注力はまだ見えず模索段階にあった[16]。また、1983年(昭和58年)10月に発売された『バードランド』のような持ち込み企画も少なくなかった[17]

1983年(昭和58年)11月に成人向けゲームの『女子大生プライベート』を発売した[18]。同年12月には、木屋義夫が手掛けたファルコム初のコンピューターRPGである『ぱのらま島』をリリースした[8][19]。まだコンピューターRPGがマイナーなゲームジャンルだった折に発売された『ぱのらま島』は国産コンピューターRPGの最初期の作の一つとして数えられる[20]

1984年(昭和59年)3月にはアドベンチャーゲームの『デーモンズリング』を発売した[8]。当時のPCアドベンチャーゲームは場面が切り替わるたびに線が描かれ、全ての線を書き終えてから色が塗られる「ライン&ペイント」式が主流であり、グラフィックが描きあがるまで長い待ち時間を要したが、『デーモンズリング』は画期的なほど高速でのグラフィック描画を実現し、当時のファルコムの技術力の高さを見せた[21][22][23]。『デーモンズリング』について、のちに加藤は「ファルコムが最初に注目された作」と述べている[12]。また同年には木屋善夫がファルコムに入社しており[15]、木屋が「趣味で半年で作った」[24]というコンピュータRPG『ドラゴンスレイヤー』を発売した[8]。以降、木屋作品はドラゴンスレイヤー(ドラスレ)シリーズとして発売される。

1985年(昭和60年)10月にはドラスレシリーズの第二弾となるアクションRPGザナドゥ』を発売した[8]。『ザナドゥ』は40万本を販売し、国内のPC用ゲームソフト最多の販売記録を保持する[25][26]。同作の大ヒットにより、「ハイドライドシリーズT&E SOFT)の内藤時浩とドラスレシリーズの木屋善夫」という構図で、木屋善夫は一躍スタープログラマーの名声を獲得し、これに伴いファルコムもPCゲーム業界での地位を確立した[20]

1986年(昭和61年)には『ザナドゥ』の追加シナリオである『ザナドゥ・シナリオII』を発売した[27]。なお『ザナドゥ』や『ザナドゥ・シナリオII』を含む、当時のPCゲームは自力でのクリアが困難な難易度に設定されていることが多く、そのため攻略記事を載せたゲーム雑誌が次々参入し売上を伸ばした[20]。また、ゲーム雑誌にはゲームのビジュアルが掲載されるため、PCゲームの宣伝効果にもなった[20]。このようなPCゲームと雑誌との協力関係と言える構図にファルコムは一役買ったという見方もできる。同年10月には『ザナドゥ』に次ぐドラスレシリーズの三作目として『ロマンシア』とアドベンチャーゲームの『太陽の神殿』を発売した[8][28]


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