日本ダービー
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東京ダービー」とは異なります。

東京優駿(日本ダービー)
Tokyo Yushun(Japanese Derby)[1]
2024年 東京優駿
(優勝馬 ダノンデサイル、鞍上 横山典弘
開催国 日本
主催者日本中央競馬会
競馬場東京競馬場
創設1932年(昭和7年)4月24日[2]
2024年の情報
距離芝2400m
格付けGI
賞金1着賞金3億円

出走条件サラ系3歳牡馬牝馬(国際)(指定)
負担重量馬齢(牡57kg、牝55kg)
出典[3][4]
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東京優駿(とうきょうゆうしゅん、: T?ky? Y?shun)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。副称の日本ダービー(にっぽんダービー、: Japanese Derby)の名称でも知られる。競馬の祭典とされている[5]。日本国内では単に「ダービー」と言えばこのレースのことを指す。

正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、朝日新聞社賞(騎手賞)[3][4]
概要

1932年(昭和7年)にイギリスの「ダービーステークス」を範として、4歳 (現3歳)馬の競走として「東京優駿大競走」の名称にて目黒競馬場にて創設[6]。後に創設された皐月賞菊花賞とともに「三冠競走」を構成する。4歳 (現3歳)牝馬による桜花賞優駿牝馬(オークス)を含めて「クラシック競走」とも総称される。

第3回より施行場を現・東京競馬場(府中)に変更して以降、開催地・距離ともに変更されておらず[6]、三冠競走の一冠目にあたる皐月賞が中山競馬場での開催に定着後も東京競馬場で代替開催された例が数例あるのに対し、二冠目にあたる同競走は2023年現在、代替開催等により開催地が変更された事は一度もない[注 1]。本競走を優勝することは、日本の競馬に関わるすべての関係者(ホースマン)が憧れる、最高の栄誉の1つである[6]。距離は第1回から2400mである。

一般的には副称の「日本ダービー」が知られている。この「ダービー (Derby)」は1780年にイギリスでダービーステークスを創設した第12代ダービー卿のエドワード・スミス・スタンレーに由来[6]し、現在は「競馬の祭典」として競馬ファン以外にも広く知れ渡っている[6]

1973年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金競走だった[注 2]。その後はジャパンカップ有馬記念に次ぐ賞金額となった[7][8][9]
詳細
名称

1950年より「(日本ダービー)」の副称が付けられている[6][注 3]

東京日日新聞毎日新聞の前身)や読売新聞では1932年(昭和7年)の第1回から日本ダービーの名称が使われている[10]。1932年(昭和7年)4月25日の東京日日新聞3面では記事見出しで『日本ダービー 晴れの駿馬十九頭』と書き、読売新聞では1932年以降の記事見出しで日本ダービーの呼称を多く使っている。一方、朝日新聞では1949年までは記事見出しには日本ダービーの呼称は使っていない[11]

JRAが配布するレーシングプログラム競馬新聞などでは1950年(昭和25年)以降、重賞回次を示す場合は副称に冠して「東京優駿(第?回日本ダービー)」の形で、また重賞回次なしの場合は「東京優駿(日本ダービー)」と表記している[12]
位置付け

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}本競走は「最も運のある馬が勝つ」といわれているが、この評はもともとイギリスのダービーステークスに対して言われていたものであり、東京優駿とは無関係な格言である[要出典]。しかし、1992年以降に出走可能頭数が18頭となるまでは参加競走馬が20頭を超すことも珍しくなく、枠番によっては走行距離に極端な差が生まれてしまうことから、一応は理屈の通った言葉であるとして現在では当時の東京優駿を語る際に言及されることもある。[13]

日本の競馬における本競走の位置づけは特別で、創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」「五大競走」「八大競走」等と称されてきたが、常にその中核をなし国内での最高賞金競走となっていた。後に創設されたジャパンカップに国内最高賞金は譲ったが、2017年 (平成29年)現在は日本ではジャパンカップ、有馬記念に次いで3番目の高額賞金競走である[注 4]。競走の格付も1984年(昭和59年)のグレード制導入当初から最高の「GI」に格付けされたが、専ら外国の馬[注 5]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、格付表記も国内ローカル扱いの「JpnI」と改められた[注 6]。その後、2010年(平成22年)から外国調教馬も出走可能な国際競走となったことで正式に国際格付が認められ、格付表記も「GI」に戻された。

そのため「ダービーに始まりダービーで終わる」とも言われており、当競走が終了した6月第1週からはさっそく2歳馬による新馬戦(メイクデビュー)が開催される[注 7]
国際的評価

世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準書においてパートIからパートIVまでランク分けされており、2016年時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている[14]

また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、東京優駿 (日本ダービー)は「Long (2101m - 2700m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟 (IFHA)が毎年公表している年間レースレーティング[注 8]に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、東京優駿 (日本ダービー)は2016年に皐月賞と並んで3歳限定競走カテゴリーにおける世界1位(全体24位)[15][1]に、2019年にはコモンウェルスカップと並んで同カテゴリーにおける世界1位(全体32位)[16][17]に位置付けられている。
開催時期

戦前の第1-6回は4月下旬に開催されていたが、第7回以後は概ね、当レースのモデルとなったイギリスのダービーに倣い5月下旬か6月初めに行われており、1957年から1995年2000年以後は原則として5月の最終日曜日、1996年から1999年、並びに2000年以後でも6月1日がかかる場合には6月の第1日曜日に行われている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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